鯉のぼりの謎 の最近のブログ記事

鯉のぼりの謎

 五月五日が近づくとあちらこちらに鯉のぼりがあげられます。威勢よく泳ぐ姿はすがすがしく、とても気持ちのいいものです。
  で、この鯉のぼり、いつごろからあるのかというと、意外とそんなに古いものではないようです。

  江戸時代以前から、大幟とか武者幟、鍾馗旗という幟や旗を端午の節句に飾ったのですが、これらのてっぺんの端に麾(マネキ)という小さな旗をぶらさげました。江戸時代の中ごろ、この麾に小旗のかわりに小さな紙でできた鯉をぶらさげるのがはやり、次第に大きな鯉になっていったようなのです。浮世絵師の勝川春好に、この小さな鯉のついた幟の絵があります。また、広重の絵に、鯉のぼりの絵がありますが、どちらも黒い真鯉一匹だけです。どちらも幕末のころの浮世絵師です。



2_vol17.jpg 

 明治も中ごろになり、武者幟をたてることが少なくなり、代わりに鯉のぼりを立てるようになっていきました。幟の先につけていた鯉は5~60cmだったのがだんだん大きくなり、それにつれて紙製から布製になっていきました。真鯉だけでなく、吹流しや緋鯉もつけられ現在のような鯉のぼりになったのは明治末期から大正時代に入ってからのようです。昭和20年代になってから、さらに青い子鯉もつけられるようになりました。

  ちなみに「鯉のぼり」という言葉はもっと新しいようです。昭和17年度版の「大言海」には「鯉のぼり」という言葉はなくて、「鯉の吹流し」という言葉で載っています。たしかに、かたちからすれば「幟」というより「吹流し」ですね。

  最後になぜ「鯉」なのかといえば、鯉は中国の竜門の言い伝えから出世魚の王さまだからです。黄河の上流の竜門の滝を登った鯉は竜になって天に上るという、あれです。江戸時代の端午の節句の幟にこの「鯉の滝登り」の絵がさかんに描かれたことも、鯉のぼりの誕生に一役買っているようです。

※俳諧歳時記 滝沢馬琴 「幟の吹流しにすと云ふ、小さなる紙製の鯉は今も売り歩くなり・・・」
※狂歌 「江戸っ子は 五月の鯉の吹流し 口は大きし腸(ハラ)はなし」

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち鯉のぼりの謎 カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは魚袋の謎 です。

次のカテゴリは値段の違いはどこに? です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

大西人形本店Webリンク

Powered by Movable Type 4.261