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羽子板の謎

 日本人であればだれでも知っている「羽子板」。でも、この羽子板という言葉はまったく謎だらけなのです。

現在、羽子板と言えば細長い板に日本舞踊などの女性の姿を押絵で描いたもので、これは、江戸時代に歌舞伎がとても評判をとったときに人気女形の姿をかたどったのが始まりと言われています。

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また、徳川美術館さまには両面を金泥の上に蒔絵や盛り上げなどで城内の様子や宮中などを描いた、いわゆる「左義長羽子板(さぎちょうはごいた)」というものもあります。左義長とは、お正月の松の開けるときに飾り物などを炊きあげる儀式のことで、この羽子板のことをなぜ「左義長羽子板」と呼ぶのかは、また別の謎として置いておきます。

また羽子板のことを当時京都では「こぎの子」とか、「こぎ板」ともいったようです。
織田信長の少し前の頃の「世諺問答(ぜげんもんどう)」に「~これは幼い子の蚊に食われないまじないで、秋の始めころトンボという虫が出てきて蚊をとるという。こぎの子というのは、木蓮子をとんぼうがしらにして羽根をつけたもので、これを突き上げれば落ちるときとんぼう返りのようだ。これで蚊をこわがらせようとしてつき始めたものなのだ・・・(私訳)」と書いてあります。

今、人形屋では羽子板を「魔を突く」といって縁起がいいものと言って売っていますが、昔は蚊に食われて病気になる子も多かったでしょうから、まあ、いいとしましょう。

でも、「室町殿年中行事」の中には、お正月の部に「御こぎのこ台に座るなり」となっているので、7~8月のころに蚊に食われないためのものをなぜお正月に飾るのか、どうも釈然としません。私にはどうもこの「蚊に食われないため~」というのは、後から付けた理屈のようにしか思えません。
また、同じ「室町殿年中恒例記」の12月のところには、出入りの大工さんが、ちりとりやほうきと一緒にこぎ板12枚を一年分として納めたと書いてあります。 え~?羽子板一年分?まったく意味がわかりません。
ということで、羽子板を研究しておられる古典学者の方もおられるようです。つまり、なんにも謎解きになっていないわけですみません。羽子板が不思議な言葉であることがわかっていただければ楽しみが増えるというものです。

 現在、人形屋で普通に売られている羽子板は、藤娘とか浅妻などと書かれていても持ち物や髪型など無茶苦茶なものが多く、扱っていながらちょっと申し訳ない気持ちがしています。
この写真の羽子板は、深水の絵を基に作られていますが、表情や髪型、着物などまったく良くできていて、私も大好きな羽子板の一つです。

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