お雛さまの着物
女雛の装束 ~1~

色々襲(いろいろがさね)

紫の薄様襲(むらさきのうすようがさね)
古典文学に「紅梅の匂いがさね」とか「梅がさね」など女性の衣裳の表現がよく出てきます。中世の女性の装束は基本が十二単です。その十二単を暑い時には枚数を少なくしたり、薄手のものにしたり、また、男性の前に出る時にはふだんは着ていない唐衣や裳をつけたりしていました。基本形はひとつなので、装束の色や柄の組み合わせでバリエーションを楽しんだのです。そのひとつずつに雅な名前がつけられているので、それで私たちは「色々襲」と書かれていると上の画像のような衣裳を思い浮かべることができます。
その何十種類もある衣装のコーディネートに名前をつけて整理したのが、平安時代末期の源雅亮(みなもとのまさすけ)です。彼の著した満佐須計装束抄(まさすけしょうぞくしょう)は、森英恵(ハナエ モリ)さんがパリのファッション界にデビューしたとき紹介され、世界最初のカラーコーディネート本として世界中を驚かせました。
グラデーションや、同系色の組み合わせに一部補色を採り入れる方法など、現在もファッションの基本となる考え方を千年近く前に整理し、書物にしていたのです。これによって、現代の私たちも平家物語などに登場する女性の姿をありありと想像することができます。
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