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連載 お正月飾りの重箱のスミ 116

当店製 ちりめんお鏡飾り
五節句とお正月 ~その六~
お餅とお団子
お正月にはお鏡餅を供え、お雑煮をいただきます。お団子にくらべ、何となくお餅にはめでたさという隠し味が入っているような気がします。お餅とお団子はどう違うのか?
いまでは、お餅はもち米を搗く、お団子は米粉を練ってつくるという違いがありますが、大きな餅つき用の臼や、米粉をひく碾臼がができるまではお餅も団子も大きな違いはなかったようです。
お餅は鏡餅に代表されるように円く二段に重ねたり、大きく平らにのばして切り餅にして節日や祭りの日に供されるのに対し、お団子は小さくまるめられ、きな粉やあんこをまぶしたり、串にさしてみたらし団子にして普段でも食べられます。こうしたことから、その形状とともに、節句など特別な日のお餅と日常的なお団子という用途によるわけ方ができそうです。
柳田国男は、「餅やこわ飯をつくることはなかなか時間と労力のかかるものであった~中略~農家では種々なる食料を取り合わせて、ふだんの簡単な食事にあてていたのである。それ故に(餅を作る)『節日時折』は興奮であり、また大きな期待であった。」と言う風にお餅のことを考えています。(カッコ『』は筆者)
前にもお鏡餅のところで載せましたが、民俗学者の吉野裕子はお鏡餅とヘビのトグロの姿の共通性を論じています。鏡(かがみ)と言う言葉もヘビからきているのではないか。ヤマカガシという名の蛇がいるように、カガというのはヘビの古名で鏡という名称自体も、ヘビのマナコから来ているのではないかというのです。ヘビはあまり気持ちの良い生き物ではありませんが、古代人は脱皮によって生まれ変わる生命力の強い生き物として崇めていたようで、お鏡餅はその象徴というわけです。
お鏡餅がヘビのかたちと考えると私などはちょっと食欲が減退しますので、あまり考えないようにしていますが、お餅に特別な意味があるという点では柳田国男と同じです。
柳田国男はまた節供の日のことを、「(節供の日には)大体に毎日の日常の業務から遠ざかり、何もしないで遊んでいればよかったので、結果においては休息と同じ場合が多く、この義務は守るに難くなかった。しかし、世の中が進み生活の事情が変わって、節日でも働きたい、働かずにはいられぬという人が多くなると、問題はまた別なものになってくるのである。遊んでただ餅を食っただけでは節日ではなく、もちろんイワイということもできなかった。それと同じように、節供を常の日の如く働きつつ、餅だけは食おうとする者も、以前は許さなかったが、今日はもうどうすることもできない。」(下線筆者)と言っています。かつては、節供は働いてはならぬ日。その日に働くものは「なまけ者の節供働き」と馬鹿にされました。
節供とは「一月一日」「三月三日」「五月五日」「七月七日」「九月九日」の五つです。本来はただの休日と違い、働いてはならぬ日、身を慎み、キリスト教の安息日のように静かに祈る日であったようです。イワイという言葉の意味も「酒飲んで、ご馳走食べてパーっとやる」というのとはちょっと違っていました。
節句文化研究会では、こうした 面倒臭いけどなんだか楽しい節句のお話を出前しています。カルチャースクール、各種団体、学校などお気軽にお問合せください。→HP最後のお問い合わせメールからどうぞ
これまで、いくつかの和文化カルチャースクール様、生涯学習教室様、ロータリークラブ様、徳川美術館様、業界団体様、中学の授業などでお話させていただいています。
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連載 お正月飾りの重箱のスミ 115
五節句とお正月 ~その五~
馬の爪 白馬の節会

越前奉書紙の白馬
前の 113で触れた「白馬の節会(あおうまのせちえ)」にからみ・・
馬は古代の日本にはおらず、3~4世紀頃モンゴルから朝鮮半島、対馬を経由して九州地方に伝わったと言われています。
かつて、端午の節句に白馬に乗った神功皇后のお人形が良く飾られましたが、その姿はちょっと怪しいかもしれません。逆に、朝鮮半島に乗り込んだ皇后が馬を日本に伝えたのかも?
この皇后の乗っている馬もたいていは白馬です。前にアルビノと書きましたが、アルビノではない白馬もいます。数年前、桜花賞を勝ったソダシという純白の牝馬がいました。栗毛や鹿毛に交じって疾走する姿が絵のように美しい馬でした。
源平の戦いのクライマックス、ひよどり越えのとき、崖を降りる鹿の姿を見て義経は「鹿も四つ足、馬も四つ足」と言って軍を率いて騎馬のまま崖を下り、崖からは攻めてこないと安心していた平家を破りました。このとき、弁慶は馬がかわいそうと言って、馬を担いで下りました。小さくても馬は400~500㎏ありますので、無茶苦茶な話です。鹿は偶蹄類でヒヅメが二つで、狭い岩場でも上手に登ったり下りたりできますが、対して、馬は奇蹄類(単蹄)で体も大きいので、急な岩場などを降りたりするのは苦手です。物語ですので「すごいな~」と感心するにとどめて下さい。
馬はヒヅメが一つですが、それは中指の爪が分厚く進化したものです。つまり、馬は四本足というものの実は四本の中指で、しかもその爪だけで立っているのです。更に、ヒジやヒザのように見えるところは、実は手首と足首です。ヒジやヒザ部分は胴体のすぐ下、足の付け根にあります。速く走るために進化したのですね。陸上競技でも、短距離走の場合はかかとをつけず足の先で走ります。人間もそのうち進化してつま先で歩く人も出てくるかもしれません。
写真は、縁起物としてお正月(白馬の節会)や端午の節句に飾られる置物です。桐塑を使ってひとつずつ手で胴を作り、純白の越前奉書紙を細かくちぎりながら貼り付けて美しい毛並みを表現します。タテガミやシッポ、房紐などは絹でできています。世界中に多くの馬の置物がありますが、中でもこれは最も手の込んだ美しい飾り馬です。しかし、残念ながら手作りのため、型で作られる陶製の馬のように量産できず、ブランド名もありません。価格は有名なブランド陶器の数分の一です。作品そのものの価値とブランドの価値とをどう考えるか、価値観が問われます。海外への贈り物にたいへん喜ばれる品のひとつですが、あまり市場には出回りません。
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連載 お正月飾りの重箱のスミ 114
五節句とお正月 ~その四~
(はねつきの)突羽根

突羽根 左義長風羽子板 手描き「宝尽し文」

蓬莱羽子板
人形屋で販売されるお正月飾りの代表的なものは「破魔弓」と「羽子板飾」です。羽子板を知らない方はいらっしゃらないと思いますが、「お正月に羽子板を飾る」という風習のない地域もあります。意外にもその中のひとつに京都があります。京都にはいわゆる押絵の羽子板を飾るという風習がありません(飾っていけないわけではありません)。でも、その代わりに「左義長羽子板」とか「蓬莱羽子板」というものがあります。押絵の羽子板は、江戸時代に人気の歌舞伎役者の姿を羽子板に仕立てたのが江戸で流行したので、京都には伝わらなかったのか、伝わっても東のはやりものとして嫌われたのかもしれません。
今回はそんな羽子板につきものの「突羽根(つくばね)」のお話。黒豆のようなのに鳥の羽根がついた、バドミントンのシャトルのようなものです。羽根は鳥の羽根ですが、頭の黒豆は「ムクロジ」という木の実です。漢字だと「無患子」と書きます。
ムクロジの木にはちょうどさいころくらいの大きさの黒い実がなります。それが、のどぼとけの骨に似ているところから「骸子」と書いたそうですが、やはり、それではちょっと・・ということでずいぶん昔から「無患子」という字があてられているようです。さいころを漢字で「骸子」と書くのはこの実に似ているからのようです。高級な数珠にもこの実が用いられています。
よく、突羽根の舞うさまが蚊を食べるトンボに似ているので、蚊に刺されて病気にならないおまじないとも言われます。突羽根が宙を舞うさまがトンボに似ているとは思えませんが、それよりも、では、なぜ蚊のいる夏ではなくお正月の風物詩みたいになってしまったのかが不思議です。まあ、縁起物ですからそこはあまり追求しない方がいいのでしょう。広重の絵にも羽根突き(追い羽根)の様子が描かれたものが残されています。
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連載 お正月飾りの重箱のスミ 113
五節句とお正月 ~その三~
「倚松樹以摩腰」⇒「かい~の」

内内神社の松。これなら腰が曲がらないかも・・
以前、間寛平さんの、「かい~の」と言いながらお尻を突き出して机の角などにこすりつけるギャグがありました。よく笑わせてくれましたが、このギャグの元ネタ、ひょっとしたら古代から伝わる日本の伝統的な風習からとられているのかもしれません。
111の項でご紹介した伊勢貞丈さんの文中に出てくる漢詩ですが、これは和漢朗詠集に載っている、「倚松樹以摩腰、習風霜之難犯也。和菜羹而啜口、期気味之克調也。」(松の木によりかかって腰をこすりつけるのは、年月によって体が衰えないための習いである。若菜の雑炊をいただくことは、心身の調子をよく整えるためである。菅原道真 筆者訳)から来ています。
まさに寛平ちゃんの「かい~の」そっくりで、かなり深いギャグであることがわかります(笑)。
この日は「子の日(ねのひ)の遊び」「小松曳(こまつびき)」といって、老若男女が野に出て生えかけている小さな松の苗木を抜き、春の七草を集めて雑炊をこしらえいただきます。年配の方は松の木に「かい~の」と言って腰をこすりつけます(ウソですよ~)。宮中でも「子の日の宴」といって、若菜の雑炊で宴会を行っています。松の苗木は、持ち帰って「若松の根合わせ」といって根っこの立派さを競い合います。現代で言えば、二月の初~中旬、寒さの中にも春の兆しが感じられる時候でした。
子の日と言うだけあって、これは年の初めの子の日に行われてきました。一方、毎年一月七日は「白馬の節会(あおうまのせちえ)」といって、宮中で白馬を見る行事が行わていました。白馬はとても縁起の良いものとして珍重され、この日のために全国から白馬が集められました。馬だけでなく、キジやハト、鹿など白い動物なら何でも縁起物として集められました。いわゆるアルビノというもので、遺伝子異常による突然変異の動物です。後には、見るだけではつまらなくなって、白馬に限らず立派な馬を集めて競走させるようになり、さらに盛り上がる一日となりました。
白馬の節会の行事をもっと充実させるためか、あるいは経費節減のために一つにしたのかわかりませんが、子の日の宴は七日に固定して行われるようになりました。七草粥をすすりながら競馬を楽しんだのですね。縁起の上にさらに縁起を重ね、とても縁起の良い日になりました。
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人形供養 大須観音さま
名古屋人形供養

大須観音様で恒例の「名古屋人形供養」が催されます。
日時:10月2日(木) 9時~正午
場所:大須観音様境内
受付:直接、大須観音境内にご持参ください。車での乗り入れ可能です。
人形、節句品、ぬいぐるみなど。 ガラス、金属は受け付けられません。ただし、鎧・兜などの五月人形はその精神から承ります。
お志:一点、または一組 3000円程度。
事前受付:当店で9月30日まで承ります。当日、大須観音様へ来られない方はどうぞお越しください。供養の当日、大須観音様へ代行持参してご供養いたします。ご来店のときはご一報ください。
※全国でも屈指の荘厳な人形供養会です。お預りしたお人形は、護摩木にて本堂内で大勢の僧侶が読経供養いたします。ご希望の方は、その前でご焼香できます。その後、精抜き(魂抜き)ののち、焼却・お焚き上げいたします。
※飾ることや、保管が難しくなったお人形類を供養いたします。雛人形、五月人形は赤ちゃんのときに贈られる唯一といってもいい一生物のお守りです。可能であれば、大人になっても、おばあちゃんおじいちゃんになっても、毎年の節句のしつらえとしてお飾りください。大きなお雛さまや五月人形の場合、持ち主様がお元気なら本体(男雛女雛、鎧・兜)だけでも残されることをお勧めします。
連載 お正月飾りの重箱のスミ 112
五節句とお正月 ~その二~
お正月の節句飾り

お正月飾り
宝尽くしのお三方に縮緬細工のお鏡餅
雛祭りには「桃」、端午には「菖蒲」など、節句にはそれぞれ象徴する草花があります。お正月は「松」であることにだれも異論はないでしょう。でも、一月七日にするとそれが「春の七草」になってしまいます。奇妙です。
わたしたち節句品をあつかう者にとっても、お正月は「門松」であったり「破魔弓」「羽子板」「凧や独楽(コマ)」、「お鏡餅」など数々のしつらえの商品がありますが、一月一日が節句でないとすると破魔弓や羽子板は節句品ではなくなってしまいます。
更にさらに、節句というもの自体、実は明治五年に暦から法的に削除されています。つまり、今の節句行事は民間が「勝手に」やっていることなのです。ですから、五月五日は「子供の日」で、「端午の節句」ではありません。この日を「端午の節句」とすると、「じゃ、他の四つの節句はどうするの?」ということになります。そうするとお正月(一月)は一体どっちを節句にしたらいいんだ?という面倒なことになるので、五節句が公的に認められるのはまだまだ先のことでしょう。
そこで、われわれ節句品を扱う業者は、「勝手に」一月一日を「お節句」として破魔弓や羽子板などのお正月の「節句品」を扱わせていただいているのです。
こんなことを考えるのは、重箱のスミっこにへばりついている米粒をなんとかほじくり出そうとするのに似ています(笑)。
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連載 お正月飾りの重箱のスミ 111
五節句と正月 ~その一~
正月と人日

国宝?じゃなくて羽子板「藤娘」
お正月って、いつ?
一月一日に決まっています(新暦、旧暦ありますが)。しかし、雛祭り、端午の節句、七夕、重陽の節句とならべたときのお正月は一月一日ではありません。一月七日なのです。お正月と言わず「人日(じんじつ)」といいます。
かつては一と一、三と三のように奇数の月日の重なる日を節句と言い、五つの節句を「五節句」と呼んでいました。ところが、今はお正月はそこから外されて人日が節句になっています。この妙な現象が生み出されたのは千六百十六年、江戸時代のはじめのことです。ずいぶん昔から人日はあったように思われていますが、それまで人日は日本の書物には見当たりません(浅い知識ですが)。一月七日に祝うのは日本では古来、「初子(はつね)の祝」または「白馬(あおうま)の節会」です。(初子の祝いは初めての子の日に行われていたのですが、一日だったり十二日だったりするので平安時代に七日に行われるようになりました)
中国の「荊楚歳時記(けいそさいじき)」という古い書物に書かれているから、ということで人日が五節句のひとつに加えられてしまったのです。以降、奈良時代からずっと節句の筆頭であった一月一日は節句ではなくなりました。
理由は、「江戸城が混雑するから」というものです。お正月は行事もいろいろあるし、節句行事だけでも七日にずらせばちょっと楽になるかも・・くらいの感覚だったようで、実に簡単に決められてしまったみたいです。礼法の旧家、伊勢流の伊勢貞丈がそのときのことをめちゃくちゃ怒っています。
「~(古来初子の日は)『倚松根以摩腰、和菜羹而啜口(松の根に腰をこすりつけ、若菜の雑炊をすする)』とあり、子の日の行事の証拠である。~中略~宮中では昔から七日の大儀は白馬の節会であり、~中略~白馬の節会が催されない時は昔からの説により七種の菜羹を食し祝うだけであって、これは節句ではない。元和二年(千六百十六)一條家によって人日が五節句のはじめであるという説が出され、まことにずさんと言うべきであろうが、この説に多くが賛成し節句の最初は人日に決められてしまった。ぷんぷん」(八朔考、筆者訳)
もとは宮中行事であった節句を勝手に幕府が修正したことにも怒っています。しかも、その江戸時代から今日に至るまで、「人日」の行事が行われたことは一度もありません。人日は「人を占う日」です。一日から鶏、犬、羊、猪、牛、馬、と続き、七日に人、八日に穀物を占うとありますが、それをどこでだれが占ったのか皆目わかりません。たぶん、だれもやっていません。よく、日本では七草粥をいただく日、とされていますが、七草粥をいただくのは奈良時代から続くわが国の伝統的な行事、「初子の祝」でいただくもので人日とは関係がないのです。中国では一日の鶏を占う日には鶏を食べない(殺さない)決まりだったそうです。これにならえば、人日を祝う人はお正月のおせちやお雑煮に鶏肉を使ってはいけません。四日目はとんかつ禁止です。五日はすき焼き牛丼禁止と続きます。人日には処刑は行われなかったそうです。八日はご飯やパンは禁止です。しかし、現在、中国では人日は行われていません。何人かの中国人に尋ねてみましたが人日という言葉も知りませんでした。本家中国でも行われていないのに、日本人だけがわけも分からず人日、人日と言って七草粥をいただいているのです。 ~次回112につづく~
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連載 お正月飾りの重箱のスミ 110
破魔弓 ~その三~
知ってる「はず」

破魔弓の矢 矢の矢筈
下端が矢尻 ハチクマタカの最高級矢羽根

破魔弓の弓 蒔絵入 掛軸をかける矢筈
上端が末弭、下端が本弭
「知ってるハズ」、「そんなハズはない」などと使う「ハズ」という言葉、これは弓、矢の部分の名から来ています。
弓の両端の弦を結わえる部分、上を「末弭(うらはず)」、下を「本弭(もとはず)」、総称して「弓弭(ゆはず、ゆみはず)」と言います。
一方、矢にもハズがあり、それは弓の弦につがえる二股になった部分です。これを「矢筈(やはず)」と言います。
「~の筈なのに」という使い方のときには、矢の方の筈の字を使います。これは、外れることがないという意味から来ているそうです。
おもしろいのは、お相撲でもこの言葉を使うことです。相手の脇や胸のところを、親指を開いた状態で押すのを「はず押し」といいます。手のかたちが矢筈に似ていることからきています。単に手を当てて押すことではなく、矢筈のかたちから名付けられているところが興味深いですね。
もうひとつ、「矢筈」という名の別のものがあります。それは写真の掛軸などを掛けるときにつかう竿のことです。先が二股にわかれていてここに掛軸のひもをひっかけて吊るします。矢の筈のかたちのものもあり、それの方が古いかたちなのでしょう、ウグイスのくちばしに似ていることから「うぐいす竿」とも呼ばれます。画像のものは「さすまた」のようなかたちの金具がついていますが、言葉の意味からわかるように、もともとは矢筈のようなものがついていました。「さすまた」になっても、名前は「うぐいす」です。子供の頃、お正月用に祖父が梅の掛軸をかけるとき「そこのうぐいすとってくれ」「はい、ほーほけきょ」なんていう会話がありました。
はずは外れない意味を持っているはずなのに、外れることをはずれというのはなぜでしょう(早口言葉みたいです)。
弓矢には部分部分に名称があり、その一部だけ載せておきます。破魔弓には籐を巻いた弓が主に使われますが、これを重籐(しげとう)の弓、重籐巻の弓と呼びます。平家物語にも出てきます。
羽生結弦さんの名前を見るたび、美しい矢をつがえた弓を連想して「いい名前だな」といつも思っていました。細身でしなやかな弓のような演技をされます。
ほんとにどうでもいい重箱のスミのことでした。お相撲を見るときちょっと思い出して下さい。
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連載 お正月飾りの重箱のスミ 109
破魔弓 ~その二~
矢の本数 「四方拝」

現代的なデザインに見えますが、伝統工芸品の
駿河千筋細工を用いた、竹と木でできた破魔弓。
矢羽根は天然のフクロウです。壁に掛けて飾る
こともできます。五本矢。当店製
破魔弓飾の矢の本数をお訊ねになる方がいらっしゃいますが、特になにかのこだわりがなければ本数にあまり意味はありません。しかし、中に「四ツ矢飾り」と銘打っている商品があります。その由来は、「四方拝(しほうはい)」という儀式にあります。
前項で述べたように「大祓」は年に二度あり、冬は十二月三十一日に行われます。そして翌一月一日の未明、帝によって四方拝が宮中、神嘉殿の南の庭で行われます。普通の儀式で帝が地面に降りることはないのですが、この四方拝は地面に降り、屛風を立てまわした中で四方と天地に向かって礼拝します。現在は天皇家の私的な行事になっていますが、新嘗祭などと同様に代拝のできない重要な儀式のひとつとされています。一部の神社や弓道家でも四方拝は行われ、その際に四方に矢を射ることがあります。これをもって四方矢、四ツ矢の由縁とされているのです。ところが、神社などによっては、四方に射た後、天に向かって一本射たり、天地に向けて二本射ることもありますので、五本矢でも六本矢でも良いことになります。
矢の行事は上加茂神社の始まりと深い関わりがあります。その昔、玉依比売命(たまよりひめのみこと)が賀茂川の川上から流れてきた丹塗の矢(赤い矢)の力によって懐妊し、御祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)が誕生したと伝えられています。上加茂神社では、毎年一月十六日に武射神事が行われ、赤い鏑矢(かぶらや)が射られます。このときは、四人の神官が二本ずつ射ますので二本でも八本でも良いのかもしれません。
総じていえるのは、矢の本数はあまり関係ないということでしょう。弓と矢が組み合わさった飾りであれば、縁起的には矢の本数に関わりなく何本でも大丈夫です。
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