連載 お正月飾りの重箱のスミ 111

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五節句と正月 ~その一~

 正月と人日

国宝?じゃなくて羽子板「藤娘」

 

お正月って、いつ?

 一月一日に決まっています(新暦、旧暦ありますが)。しかし、雛祭り、端午の節句、七夕、重陽の節句とならべたときのお正月は一月一日ではありません。一月七日なのです。お正月と言わず「人日(じんじつ)」といいます。

 かつては一と一、三と三のように奇数の月日の重なる日を節句と言い、五つの節句を「五節句」と呼んでいました。ところが、今はお正月はそこから外されて人日が節句になっています。この妙な現象が生み出されたのは千六百十六年、江戸時代のはじめのことです。ずいぶん昔から人日はあったように思われていますが、それまで人日は日本の書物には見当たりません(浅い知識ですが)。一月七日に祝うのは日本では古来、「初子(はつね)の祝」または「白馬(あおうま)の節会」です。(初子の祝いは初めての子の日に行われていたのですが、一日だったり十二日だったりするので平安時代に七日に行われるようになりました)

 中国の「荊楚歳時記(けいそさいじき)」という古い書物に書かれているから、ということで人日が五節句のひとつに加えられてしまったのです。以降、奈良時代からずっと節句の筆頭であった一月一日は節句ではなくなりました。

 理由は、「江戸城が混雑するから」というものです。お正月は行事もいろいろあるし、節句行事だけでも七日にずらせばちょっと楽になるかも・・くらいの感覚だったようで、実に簡単に決められてしまったみたいです。礼法の旧家、伊勢流の伊勢貞丈がそのときのことをめちゃくちゃ怒っています。

「~(古来初子の日は)『倚松根以摩腰、和菜羹而啜口(松の根に腰をこすりつけ、若菜の雑炊をすする)』とあり、子の日の行事の証拠である。~中略~宮中では昔から七日の大儀は白馬の節会であり、~中略~白馬の節会が催されない時は昔からの説により七種の菜羹を食し祝うだけであって、これは節句ではない。元和二年(千六百十六)一條家によって人日が五節句のはじめであるという説が出され、まことにずさんと言うべきであろうが、この説に多くが賛成し節句の最初は人日に決められてしまった。ぷんぷん」(八朔考、筆者訳)

 もとは宮中行事であった節句を勝手に幕府が修正したことにも怒っています。しかも、その江戸時代から今日に至るまで、「人日」の行事が行われたことは一度もありません。人日は「人を占う日」です。一日から鶏、犬、羊、猪、牛、馬、と続き、七日に人、八日に穀物を占うとありますが、それをどこでだれが占ったのか皆目わかりません。たぶん、だれもやっていません。よく、日本では七草粥をいただく日、とされていますが、七草粥をいただくのは奈良時代から続くわが国の伝統的な行事、「初子の祝」でいただくもので人日とは関係がないのです。中国では一日の鶏を占う日には鶏を食べない(殺さない)決まりだったそうです。これにならえば、人日を祝う人はお正月のおせちやお雑煮に鶏肉を使ってはいけません。四日目はとんかつ禁止です。五日はすき焼き牛丼禁止と続きます。人日には処刑は行われなかったそうです。八日はご飯やパンは禁止です。しかし、現在、中国では人日は行われていません。何人かの中国人に尋ねてみましたが人日という言葉も知りませんでした。本家中国でも行われていないのに、日本人だけがわけも分からず人日、人日と言って七草粥をいただいているのです。   ~次回112につづく~

 

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