五月人形の「重箱のスミ」④

~「太刀」と「刀」~

お節句の飾りの鎧や兜につきものの弓と太刀。この、太刀のお話です。

お節句に飾るのは、実は、「刀」ではなく「太刀」、その中でも「飾り太刀」と呼ばれる儀仗用のもので、いくさをするための刀とは少し違うものなのです。太刀は、刃を下にして革や紐で帯にぶら下げて着けます。「佩く(はく)」と言います。対して、刀は刃を上にして帯に「差し」ます。博物館などで展示するときも、これに従って太刀は刃を下にして展示します。

公家の文化に倣って、戦国時代以後でも元服や男子誕生のときなどに、この飾り太刀を奉納し、成長を祈願しました。

良いものの中には、鍔が分銅のかたちの「分銅鍔」、柄(つか・にぎり部)は紐を巻かず、鮫皮や金属、先端が鳥の頭のものもあります。節句飾りには「縁起」が大切です。チャンバラで使うような刀を飾るのはいかがなものかと思うことがあります。

五月人形の「重箱のスミ」③

神功皇后(じんぐうこうごう)

江戸時代から戦前くらいまで、写真のような「神功皇后(じんぐうこうごう)」の人形が端午の節句によく飾られました。彼女は14代仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后で、三韓征討を成し遂げた方で、大正時代までは初の女性天皇としている歴史書もあったようです。大正15年、皇統が正式に定められたときに北朝系天皇とともに外されましたが、15代応神天皇が即位するまでの約60年間を統治した方です。60年というとすごく長いように思いますが、初代神武天皇は70年以上、6代孝安天皇や11代垂仁天皇は約100年間在位していたことになっています。

隣にいるおじいさんは800歳まで生きていたといわれる武内宿禰(たけのうちのすくね)で、抱いている赤ちゃんが皇后のお子様の応神天皇です。昔の人は長生きだった?

五月人形の「重箱のスミ」②

正平6年6月1日

節句飾りの鎧や兜の革の部分に、たまに「正平六年六月一日」と書かれていることがあります。これはなにかというと、この革に描かれている唐獅子や牡丹、唐草模様がお許しを得たものであるという証なのです。

南北朝時代、後醍醐天皇の皇子・懐良(かねよし、かねなが)親王が征西大将軍として九州で勢力を伸ばしましたが、時に正平六年六月一日、肥後の国・八代の名工に当時勝手に描くことのできなかった獅子や牡丹、唐草模様を許し、その日を記したものなのです。この革を正平御免革(韋)と呼びます。

子供の頃、この文字が書いてある鎧や兜を探して喜んでいました。けれど、最近はとんと見かけなくなってしまいました。聞けば、どうもこの文字が書いてあると、革の半端なところを使ったもののように思われ、クレームがくることがあるらしいのです。私たちは、むしろ「当たり」「縁起が良い」と思っていましたが、どうも最近はそうではないらしいですね。説明できないお店がふえたのかもしれません。

いいものって?

この時期になると、よくお客様から、他店様で「良いものは4月にはなくなるから、今年はあきらめて来年にしなさい」と言われた、とお聞きします。

それらのお店さんで言われる「いいもの」とは何でしょう?それは、「今年のはやりのもの」という意味なのです。節句飾りは一年の一時期にしか売れません。お店や売り場そのものが5月から10月頃まで閉まっているところもあります。そして、そうしたお店ではその時期に合わせて短期間に売り切れるように、その年の「流行」を作り出し、「いいもの」として宣伝します。その「いいもの」は大量に作り、売り出され、そして、売り残さないように3月中には品切れになります。一般的な日本語の「いいもの」とは少し意味が違います。ちゃんとしたお店でしたら、5月4日にお誕生のお子様の「初節句」にも備えて、「いいもの」をご用意しています。

節句飾りはお父さんやお母さんのものではありません。そのお子さんのもので、生涯にわたって飾られるものです。飾られる回数は、赤ちゃん、子供の期間より、大人になってからの方が圧倒的に多いのです。「5年か10年しか飾らないんだから」と言っておられるお店もあると聞きます。なにかを勘違いしています。お客様に対して、極めて失礼です。

例えは悪いのですが、お仏壇を買う時に「ことしの流行は?」と聞く方はいらっしゃいません。それは、一生に一度買うかどうかのものですし、一度買えば何十年、あるいは百年以上使うものだからです。節句飾りは一生に一度、ご家族がお贈りになるもので、そうした意味ではよく似ています。

どうぞ楽しい端午の節句をお祝いください!

五月人形の「重箱のスミ」①

「兜のてっぺんの穴」

ときおり、お客様から「兜のてっぺんの穴にはめるものがない」と、

クレームをいただくことがあります。この穴にはめるものはないのです。

名前は「天辺孔」といい、穴を構成している金具を「八幡座」といいます。

この穴は何のためにあいている?

いくさは涼しい時ばかりではありません。真夏のときには陽にやかれて、

目玉焼きができるくらいに熱くなります。その熱気を逃すためにあいて

います。烏帽子をかぶった人形がありますが、平安時代から鎌倉初期には

兜はこの烏帽子をかぶったまま兜をかぶり、烏帽子の先端をこの穴から外に

出します。3番目の絵のように、兜の上から出ている黒いものです。

暑い時には当然、頭がかゆくなります。そのときはこの穴から棒を突っ込んで

掻きます。鎌倉時代後期には、兜の内側に布や革で「うけばり」というクッ

ションを貼るようになったので、兜の先から烏帽子を出すことはなくなり

ましたが、代わりに最後の絵のようにこの穴に飾り物をくっつける変な人

(””(-“”-)”)も現れました。江戸時代の節句飾りの兜にも、この穴に造花や

作り物を立てたものが見られます。

楽しい五月人形

 

五月人形って、兜や鎧ばかりなのになぜ五月「人形」?と思われる方も多いのですが、このようにお人形もたくさんあるんです。

可愛らしいものが多いのですが、そこは永年飾っていただくために、それなりの完成度が求められます。つまり、大人になっても飾っていただけるような存在感とデザイン性です。

左の武者人形の旗には御家紋をお入れすることもできます。

小さなものは5000円ほどから各種ございます。

人生が100年なら・・・

人生が100年だとしたら、お節句飾りは100回飾れるものでなければなりません。

「初節句」「小学校入学」「受験」「就職」「結婚」「出産」・・・人生のさまざまな節目にもそれは飾られ、お子様がやがて独立し、ご夫婦二人の生活になったときも節句のしつらえとしてそれは大きな役割を果たすものです。

ご家族に思いを致し、心ゆたかに自然や平和に感謝し、祈る。それが節句飾りです。

流行のない、大人になっても飾れる良質な節句飾りをお求めください。子供でいられるのは10年ちょっと、節句飾りは大人になってからの方が圧倒的に飾る回数は多いのです。

店内には美しい鎧や兜、可愛らしいお人形がいっぱいです。

「太上天皇が詔(みことのり)した。昔、五月五日の節会には常に菖蒲を髪飾りとしていたが、近ごろはその風習が行われなくなった。今後は菖蒲の髪飾りをつけないと宮中に入ってはならぬこととする。」聖武天皇の五月五日に出された詔です。

そんなわけで、端午の節句には菖蒲がつきものなので、手描きの菖蒲絵屏風です。兜は、佐殿(すけどの)のものとされている白地に褄取兜。平家物語や吾妻鏡に描かれているものです。

節句飾りは、お子様が20歳になっても60歳になっても節句のしつらえとして飾れるものでなければなりません。受験や人生の「ここぞ」というときにも飾っていただけるものである必要があります。流行に左右されるものであってはならない、スタンダードのようだがどこにもない、そんなお節句飾りをお子様にお贈りください。

ご両親さま、ご家族さまの「祈り」や「願い」を受け止めることのできるお節句飾りをお誂えしています。5月5日までは無休です。

13日(日)の交通規制

明日、13日(日)は、女子マラソンのために市内各所で交通規制があります。

当店のすぐ東側の伏見通り(国19~国22号)も10時過ぎから15時過ぎまで通行止めとなりますのでお気をつけ下さい。当店の東側からは規制状況をご確認の上、ご来店ください。西側からは影響なくご来店いただけます。

名古屋高速も直近の「丸の内出口」はこの時間帯、降りられません。「明道町出口」と「錦橋出口」は降りられますので、堀川沿いにお越しください。

当店西角で進入禁止案内がされますが、「大西人形へ」と言って下されば入れます。

どうぞお気をつけて。

お雛様の重箱のスミ的記事⑮
昨日は桃の節句。私の祖父はこの日によくサヨリの刺身を食べていました。
中日新聞さんと朝日新聞さんに記事にしていただきました。
雛まつりや端午の節句を始め、お節句のことについて書いた本です。記事のおかげで多くのご依頼がありました。感謝です。
今回で「お雛様の重箱のスミシリーズ」はいったん終了したいと思います。
店内では端午の節句の展示が始まりました。
お子さまが20歳になっても60歳になってもお節句の室礼として飾っていただける、ちゃんとした節句飾りばかりです。お気軽にご覧いただけるようにご案内しております。