五月人形 販売開始

五月人形 販売開始です。
こんなに楽しく美しい節句飾り

  

厄除けの象徴、  小さいけれど最高級の節句兜。

鍾馗。漆塗りの    現代の名工の作る本表装の

屏風、ケヤキの  五色幕屏風。

漆塗り一枚板台。

左は文庫本です。

  

大きな鎧飾り。現代  小さな一刀彫り兜飾り。

の名工の作る鎧と   左が文庫本の大きさです。

屏風。越前和紙の   矢襖と短檠で上品に

飾馬を添えて

  

小さいけれど最上級の飾兜。   小さな兜と桃太郎。菖蒲矢と

現代の名工の屏風。文庫本と   ちまき飾りを添えました。

比べ、この大きさです。毛氈で  左のよりもさらに小さな兜

上品に。飾る場所を選びません。 です。

  

滅多に見られなく  お節句のしつらえ用の小さな

なった段飾り。    お人形や飾りもの。

今でもちゃんとご   楽しいお節句を

用意できます。

馬に虎。お節句につきもの

の飾り物です。

端午の節句のしつらえ「五月人形」の展示販売が始まりました。

当店では「伝統的な様式」「美しいしつらえ」を最も大切にしています。この二つは相反するものではなく、ほぼイコールのものです。美しいから伝統的に受け継がれてきているのですから、それをご覧いただくのは節句品屋の務めでもあります。

また、当店には定型のセット品はありません。 全商品お客様のご要望にあわせてサイズや組み合わせなどご自由にお揃えいたします。

人形と兜の組み合わせや、ごく小さな、しかし工芸品として優れた五月人形、脇に飾る馬や虎、そしておびただしい種類のヨロイ・カブト・・・当店独自の、昔からずっと変わらないやり方でお節句のお祝いのお手伝いをさせていただきます。美しく、楽しいお飾りたちです。

※今はお節句飾りもネットでの検索が中心となり、メーカー、問屋さんのセット飾りや、そうでなければ「写真映え」のする変わったお飾りが多くなりました。それに伴って、伝統的なお飾りはむしろ少数派になり、ネット上にはほとんど揚がらなくなってきています。さらに、節句飾りには縁起の良くないものは用いませんが、そこを無視した(あるいは知らない、気にしない)ものも散見されます。お客様には判断のつかないことがありますので注意が必要です。

※当店では扱わない商品があります。「縁起」や「環境」、「上品、上質かどうか」、「流行」などの基準で選ばない商品群です。例えば「戦国武将の甲冑」、「ベニヤ板、ボード(MDF)をチョウツガイでつないだ屏風」「箱型の台」「櫃(ヒツ)のない甲冑」などは、あまり扱っていません。お子様が着て遊べる甲冑もその一つです。「節句のしつらえにふさわしいか(縁起が悪くないか、品が良いか)」「百年飾れるか(お子様の生涯)」を大切にしています。

 

ウィメンズマラソンで通行止め

明日(3/8)は名古屋ウィメンズマラソンで当店東を走る伏見通りが通行止め、横断もできなくなります。

名古屋駅方面からな支障なく来られます。

当店前の道路も通行禁止のバリケードとガードマンが立ちますが、「ここに用がある!」と言っていただければ入れてもらえます。円頓寺商店街の通りを東へ、堀川の五条橋の坂を上がってお越しください。

一宮、清洲方面の「明道町IC」は降りられます。地下鉄は「丸の内駅」で降りていただければ数分です。

お気をつけてお越しください。

連載 五月人形の重箱のスミ 129

端午の節句 五月人形の縁起

赤い房の下にちらりと見えるのが

金蒔絵の家紋です

 

 大切なのは縁起が良いこと

 それは様式にあらわれます

 

古典落語の「人形買い」や「五月幟」に五月人形が出てきます。神功皇后(じんぐうこうごう)、太閤(たいこう)、金太郎、鍾馗(しょうき)などです。それらは、すべて出世や厄除けの象徴となっているもので、節句飾りがなんのためにあるのかをよく表しています。ひと言で云えば「縁起が良い」です。

江戸時代、ちょっと裕福な商家などでは、小さな雛鎧・兜や木彫りの兜(檜兜)なども飾られました。この小さな鎧・兜が現代でも飾られるお節句の鎧兜です。

ネットやお店でも、雛人形や五月人形は「お守り」「厄除け」のために飾る、と説明されます。それならば、なにより気にしないといけないのは「縁起が良いかどうか」のはず。

このために江戸時代から戦国武将の甲冑は飾られることはほとんどありませんでした。部下に裏切られて殺された武将、片目の武将、親子兄弟で殺し合った武将、そうした武将の甲冑を飾ることはありえなかったのです。(百姓から天下人となった太閤秀吉だけは、例外的に出世の象徴として喜ばれました。)

しかし、時代が変って現代になると「なんのために五月人形を飾るのか」分からなくなり、かっこいいからとか、大河ドラマで流行っているからという理由で主人公の兜が飾られることがあります。その人物をとても崇拝しているならまだしも、それでも「縁起」の面からは疑問に思うことがしばしばあります。

<当店の考える五月人形の基本と縁起>

〇お節句用の鎧・兜は本来、だれかのをまねたものではなく、そのお子様のために新たに作られるもの。現代ではそれは無理なので、だれかのではなく、普遍的なスタイルのものを飾ります。一般的には、世界で最も美しい武具と言われる平安、鎌倉時代の典型的なかたちを模したものが用いられます。

〇「櫃(ヒツ)」は必須。鎧・兜は武士にとって最も大切なものなので、床にじかに置くことはありません。専用の櫃の上に必ず飾ります。歌舞伎の義経千本桜に、敵将を討った証拠にその兜を改める「兜改め」というシーンがあります。討ち取った敵将の兜を床に置いてあらためるのですが、櫃なしで置かれると、この「兜改め」の縁起でもないシーンを連想させます。

また、写真のように、櫃にはお子様の御定紋(家紋)を蒔絵で入れることができます。櫃がないと入れられません。一般的には代々の家紋ですが、そのお家だけの印ですので、お父さんが次男とかでしたら新しく家紋を創作することができます。ご実家の家紋をアレンジすることがよくあります。

〇屏風は「金屏風」が基本となりますが、当店では山が連なった文様やカスミの文様のものをよく用います。「山が連なる」のは子孫がつながることを意味し、お子様のお祝いにはよく出てくる文様です。また、「金雲」や「霞(カスミ)」は、お子様の誕生などのお喜びがあると御所の上に金色の霞がかかるという故事にちなみ、吉祥として用いられるものです。他に、「菖蒲」や「鯉のぼり」など縁起の良い図柄があります。

〇脇に飾る太刀は、時代劇の侍が差している「刀」ではありません。地位や威厳を表し、守り太刀として飾るものなので「太刀」の拵えでなければなりません。柄頭が鳳凰であったり、鎖がついたり、鞘には覆輪が施されています。刃を上に帯に差す刀と違い、刃を下にして帯にぶら下げる様式になっています。飾るときは柄を下にして立てます。

縁起は知識です。知らないですんでしまうこともありますが、知らないと恥ずかしい思いをすることがあります。「センス」や「好み」も大切ですが、そうした縁起に基づいて成り立っている「様式」は節句飾りの基本なので、好みで変えることは慎まねばなりません。節句は国の基本となる伝統であり文化ですので、安易に変えたり省いたりすると節句の意味そのものがなくなってしまいます。

 

節句文化研究会では、こうした 面倒臭いけどなんだか楽しい節句のお話を出前しています。カルチャースクール、各種団体、学校などお気軽にお問合せください。→HP最後のお問い合わせメールからどうぞ

これまで、いくつかの和文化カルチャースクール様、生涯学習教室様、ロータリークラブ様、徳川美術館様、業界団体様、中学の授業などでお話させていただいています。

※この記事の無断引用は固くお断りします

端午の節句 五月人形とお雛さま

お雛祭りは三月三日

お雛祭りは三月三日、あと数日後に迫りました。お子様が初めて迎える雛祭りを初節句と呼んで、とくに大切にされます。と、いうことは、三月二日にお生まれになったお嬢ちゃんにとっても翌日は初節句です。「昨日生まれたので、すぐに届けて欲しい」というお客様がときどきいらっしゃいます。ですから、当店のように「節句品」としてお雛さまを扱っているお店では、務めとして三月三日まではお雛さまをお求めいただけるようご用意しています。

端午の節句・五月人形も同時に展示販売を開始しました。ですから、三月三日まではお雛さまと五月人形の両方をご覧いただくことができます。上の鎧飾りは一間床に飾られています。幅1m50cmほどの立派なものです。下の兜飾りは幅55cmほどの小ぶりなものです。

玩具・ベビー用品とは別物の、お子様のお節句のしつらえとしての五月人形をお誂えしております。どうぞお運びくださいますよう、お待ち申し上げております。

※鎧の上に飾ってある色紙絵は、小田切春江の「源太が小袖」です。源氏の祖、源義家が赤ん坊のとき小一条院の前に連れて来られ、鎧の袖の上に座らされている場面です。この由来で「源太が小袖」と名付けられた鎧は、源氏の統領の象徴となり、源氏八領と呼ばれる大鎧のひとつとなっています。(源太とは源氏の総領の長男のこと)

連載 お雛さまの重箱のスミ 128

美しい髪

ゆたかな髪の女雛

 

毎日シャンプーするのはいまでは普通のことですが、4~50年ほど前には週に数回という人も多かったように思います。平安時代までさかのぼると、それが年に数回という頻度になります。

身長より長いというのは当たり前のことで、髪を洗うというのは平安女性にとってはたいへんなことでした。それを洗って乾かすというのは一日がかりの作業です(なにせ、ドライヤーがない)。お雛さまでももっと長くすると良いのですが、始末がたいへんなのでだいたいは写真のような感じでおさめています(これはかなり髪の量も多く、長い方です)。

この「髪を洗う」という作業が古典文学に出てくることはあまりありませんが、見つけました!

「夜の寝覚め」というお話の中に「御髪(みぐし)すまし暮らす日・・」とあり、まさに一日がかりで髪を洗った様子です。この女性は夫が結婚前に契った妹にいまだに想いを寄せる様子にいら立ち、しかしいろいろな事情から正面から夫を詰ることもできないというむしゃくしゃした気持ちの中で髪を洗っているのです。少しでも美しさを取り戻し、夫の気を振り向かせようとしているのか、度々髪を洗っています。気分転換に美容院へ行く現代の女性と同じなのかもしれません。

中村真一郎はこの物語を「・・・一文明の頽唐期に必ず現れることになるデカダンスの小説の一典型である」とにべもない言い方をしていますが、男女とそれを取り巻く人々の心理を物語の中心に据えた世界初の長編心理小説ではないか?とさえ思います。物語の真ん中あたりが欠損していて、想像で補うしかないのが残念です。しかし、読みにくい。登場人物の呼び名がころころ変わり、源氏物語でもそうだけど文章の主語述語がよくわからない。自分の能力不足を思い知らされる物語でした。

節句文化研究会では、こうした 面倒臭いけどなんだか楽しい節句のお話を出前しています。カルチャースクール、各種団体、学校などお気軽にお問合せください。→HP最後のお問い合わせメールからどうぞ

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徳川さまのひな祭り

徳川様のひな祭り

 

ことしも、2月7日(土)からの「尾張徳川家のひな祭り」展に向けて、節分の夜、飾り付けに行ってきました。

館内に展示されているものは江戸時代以降のお雛様と雛道具で、それこそ世界に類のないレベルの人形とお道具ばかりですが、このお雛さまは当店の特別あつらえ、現代のものです。

幅2m40cm、屏風の高さだけで70cmという大きなものです。大きいだけでなく、ご覧いただければ遊び心にあふれた楽しいお雛様なのがお分かりいただけます。五人囃子がたくさんいます!貝合せや犬筥、仕丁たちは酒飲んで宴会しています。遊んでいるようですが、伝統的な楽しいお雛さまです。
この展示会は4月7日までですが、これにも意味があります。よく、3日に片付けないと・・・ということが言われますが、これは昭和40年代にある人が発した言葉で広まってしまったフェイクで、これによってお雛さまを後ろにむければいい、なんていうとんでもない作法(?)まで生まれることになりました。ひな祭りは満開の桜が飾られているのを見ればわかるように、本来は旧暦で行われるものです。だから、旧暦または月遅れの4月3日ころまで開催されるのです。お雛様の片付けは、3月4日にお雛様に対してお礼のお供えをして、その後、お天気の良い、時間に余裕があるときにゆっくり片付けるものなのです。縁起悪いので後ろ向けないでください。雛祭りは元来「宵祭り」なので、電灯のない時代、夜中に片付けるのはもともと不可能なのです。

連載 お雛さまの重箱のスミ 127

笏(しゃく)

左から、象牙、花梨、一位、

ヒノキの笏

象牙の笏を持ったお雛さま

 男雛が持っている細長い板、「笏」といいます。

 「しゃく」なのに長さは尺二寸ほどですw。お雛さまの笏の素材はいろいろで、左から象牙(牙笏:げしゃく)、花梨(かりん)、一位(いちい)、桧です。実際に宮中や神主さん神社の神主さん達も象牙や一位を使います。牙笏はお高いお雛さまに使われることがありますが、それほどこだわるところではありません。象牙の笏は位の高い人しか使えませんでしたが、平安時代には大きな儀式のときには位に関わらず用いられるようになりました。

 笏は一体何のため?私たちが神社でお祓いなどを受けるとき、神主さんは間違えないようにきちんと紙に書かれた依頼者の氏名住所を読み上げます。笏が日本に伝わったのが仏教伝来と同じころ、まだ紙が伝わる前のことなので、当時の神主さんはこの笏という木簡に祝詞を書きつけて儀式を行っていました。紙が日本でも作られるようになると、祝詞を書きつけた紙を笏に添えて読むようになりました。

 笏には一位の木がよく用いられますが、中でも位山(くらいやま)スキー場で有名な位山の木で作られた笏は高級品ということです。この木が一位と名付けられたのも、神官が使うのを見た仁徳天皇がこの木に正一位を授けたのでイチイという名になったそうです。

 ここで待て待て、と言う方もいらっしゃるでしょう。笏が日本に伝わったといわれるのが6世紀の仏教伝来と同じころ。仁徳天皇は4世紀の方です。200年程の開きがあるではないか。こうしたちぐはぐな点は、古代の歴史を眺めるといたる所に出てきます。すみません、私は学者ではないのでこのちぐはぐをどう説明したらいいのかわかりません。漢字も仏教の伝来とともに6世紀に伝わったとされていますので、仁徳天皇の時代に笏があったのかどうか非常に悩ましいところです。

 紙がわが国で作られるようになって、笏は祝詞を書きつける役目を終え、現代のように「威儀をととのえる」ためだけに用いられるようになりました。

 ちなみに、女雛の持つ檜扇(ひおうぎ)は、何枚もの笏をカナメで綴じたものと言われています。

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連載 お雛さまの重箱のスミ 126

 お雛さまの意味 ~その3~

   幸せなお雛さま

幸せなお雛さま

美しい衣装の裂地です

小さなお椀のフタも全部揃っています

雲上流の桜橘

これは 現在 販売中の小さなお雛さま

 

 何年か前、80を過ぎた女性が「私のお雛さまを預かってほしい」といらっしゃいました。「私が生まれたときにおじいさんが苦労して買ってくれたお雛さま」だということです。90年ほど前のお雛さまということになります。供養に出したり、知らない施設に寄贈するのもいやだということで、多少ご縁のある私のところに持ってこられたのです。

 拝見して驚きました。良いお人形であることは一目でわかりますが、それよりもたくさんある人形の持ち物・小道具などがすべてそろっているのです。太鼓のばち、随身の弓矢、お膳のふたなど、ひとつもなくなっていません。経年による多少の傷みはありますが、ほんとうに大切に毎年飾っていただいていたのがはっきりとわかります。毎年飾るのが楽しみで、「大好きなおじいさんが買ってくれた・・・」と話される表情は童女のようでした。海外に居住する息子さんのところに転居するので、どうしても持っていけないということなのです。いつでもお返しするということでお預りすることにいたしました。戦争も経験されたいへんだったと思いますが、このお雛さまはそれを見守り、いま、お役を終えることのできた「幸せなお雛さま」なのだと思います。(ただ今展示しています)

◇参考:一番下の写真は、今、販売中のお雛さまです。幅60cmほどの小さなお雛さまです。幸せなお雛さまになってほしいです。

 

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連載 お雛さまの重箱のスミ 125

お雛様の意味 ~その2~

 めんどくさい?

飾るのに30分もかからないお雛さま

 前回(124)で「販売員の方に『小学校くらいまでしか飾らないのだから、この小さいのがお勧めですよ』と言われました。そんな失礼なことをお客様に言っているのかしらと心配になりました~」と書いたところ、どこが失礼なのか?というご意見をいただきました。そこで、なぜ失礼かを書くことにします。

 この販売員(マネキン)さんの言葉は「小学校くらいまでしか飾らない」というのと「小さいのがお勧め」の二つでできています。

 最初の「小学校くらいまで・・」。この販売員さんに悪気はぜんぜんないと思います。しかし、その言葉を分析すると、「どうせ飾ったりするのは面倒でしょ」か、あるいは雇われている問屋さんのマニュアルに「お雛さまは小学校に入るくらいまで飾るもの」となっているか、どちらかか両方でしょう。私はどうも面倒くさがりに見えたようです。そして、お子様、お孫様の生涯のお守りとしてお雛様を選びに来ているお客様には、かなり失礼な言葉ではないかと思ったのです。

 もう一つの「小さいのがお勧め」というのは、「どうせ狭いマンションにお住まいでしょうから小さいのがいいですよ」あるいは「大きな高額なものは買えないでしょ?」という風に見られたのだと思います。まあ、当たらずとも遠からずですが、それは販売員がこちらより先に言う言葉ではありません。私も業界の内情をわかっているので腹を立てることもありませんが、同業者としてはその言葉使いがお客様を少しずつ減らしている原因になっているのではないかと思うのです。

 業者の中にも、最近は「雛人形を飾るのは面倒くさい」という人がいます。というか、本気でそう思っている人もいます。確かに業者としては、毎年何十何百というお雛様や五月人形を飾ったりしまったりします。たいへんな労力です。しかし、その「感想」をお客様に言ってはなりません。お客様はお金を払ってその作業をされるのです。「雛人形を飾るのは楽しい」「こんな幸せな時間は他にはない」というお客様もたくさんいらっしゃいます。そして、実際にやってみるとほとんどの方は「楽しい」と感じておられます。そうです。楽しくないわけがありません。お子様やお孫様と一緒にお雛さまを飾る、これは他に比べるものが思いつかないくらい幸せな作業です。それを、お金をいただく側の人間が「面倒くさい」という。そんな失礼な商売が他にあるでしょうか。業者が「出し入れ簡単」のように宣伝するので、お客様も「簡単に飾れるもの」を求めるようになります。そこで捨て去られているのが「お雛さまを飾る喜び、幸せ」です。親王飾りなら、初めてのママでも30分もかかかりません。楽しい時間を長くするために、三人官女やお雛道具を毎年のように買い足される方もたくさんいらっしゃいます。お人形を毎年手に取って飾っていると、あら、ここはこんな風になっているのねとか、裏側までこんなにきちんとできているとか、桜の花びらの中におしべめしべが、など小さな驚きがいくつも出てきます。その発見の喜びの内に潜んでいる親御様の愛情を、お子様はいくつになっても胸に刻むことができる、それがお雛さまの大切な意味のひとつです。そしてそれは、大谷選手の「日本の女の子として育てたい」という言葉のように、日本の女の子にしかできない幸せな「体験」です。

 

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連載 お雛さまの重箱のスミ 124

明けましておめでとうございます

今年最初の連載ブログです

 

「重箱のスミ」をほじくるのがこのブログの趣旨ですが、今回は重箱のど真ん中のお話。

 お雛さまの意味 ~その1~ です。長文ですがお許しを・・・

ひとがたの紙

紙雛 自立しません

現代の立雛 自立します

 昨夏、大谷選手に女の子が授かり、「日本の女の子として育てたい」というニュースがありました。もうすぐ初節句。どんなお雛さまを飾られるのか楽しみでしょうがありません。

 よく「お雛さまは何歳まで飾るの?」と聞かれます。これは、そのお雛さまを飾る意味がわかればおのずと答えが出てきます。昨年、ある有名デパートの雛人形売り場を眺めていたら、販売員の方に「小学校くらいまでしか飾らないのだから、この小さいのがお勧めですよ」と言われました。そんな失礼なことをお客様に言っているのかしらと心配になりましたが、まあ、余計なことは言わずにその場を立ち去りました。

 ひな祭りは3月3日です。この日は古来「上巳の祓え(じょうしのはらえ)」というお祓いの日、各地の神社で催される「夏越の祓え(なごしのはらえ)」とか「大祓(おおはらえ)」と同じお祓いの日なのです。明治以降、太陽暦が採用されて今の暦の3月3日に行われていますが、それ以前は旧暦・太陰暦で行われていたので今で言えば4月の初旬にあたります。

 なぜお祓いの日に雛人形を飾るのか?

夏越の祓えなどでは、人の形に切り抜いた2~30cmほどの白い紙を渡され、ここに名前などを書いて息を吹きかけたり、身体の具合の悪いところを撫でて納めます。これを神社でご祈祷して厄除けのお祓いとします。

 平安時代の上巳の祓えは、「御堂関白記(藤原道長の日記)」などに、道長が陰陽師や周囲の男女を大勢連れて川に鴨川に祓えに出かける様子が描かれています。旧暦ですので河畔には桜が咲き乱れ、他にもたくさんの人々が同様に祓えに来ていたことでしょう。ひとがたの紙で身体を撫で、厄を移して陰陽師のお祓いを受けて鴨川に流します。その後はお酒を飲んだり笛や琴などで歌ったり踊ったり楽しい宴会になります。辛気臭い行事ではなく、にぎやかなお花見のような行事だったようです。今のひな祭りと同じ楽しい行事です。

 この「紙のひとがた」をお家に持って帰ってお守りにする人もいました。この方たちの中で、「あたしはしょぼい紙じゃなくちょっと豪華に布で作りたい」というセレブが当然出てきます。きれいな布で作ると、今度はお顔ももう少しきちんと作りたくなります。そこで、お顔付きの祓えの人形が出現するのです。このときはまだ夫婦でなく一体です。

 もともとが祓え=厄除け、厄払いですので、いざというときのお守りとして親が子に持たせることもありました。それは、結婚や出産であったり、いくさに出かけるときのお守りだったりします。しかし、鎌倉、室町以降、結婚が政略的に行われる時代になると、娘に持たせる人形は夫婦姿の男女一対になります。秀吉は猶子(前子)に巨大な立雛を持たせたそうですし、家康が尾張に人質として預けられたとき、預かり先の熱田の加藤図書助の娘ツマさんが家康のために作った男女一対の立雛は今も名古屋に現存します。祓えの人形なので、この頃は女性だけのものではありませんでした。

 江戸時代になり、こうした人質のようなことも減ると、祓えの人形は主に女子の嫁入りのお守りに用いられることが多くなります。このころまでは人形も薄っぺらな形で自立しなかったのですが、次第に自立する立雛に進化してきます。座った形の雛人形が現れたのは江戸時代の初期のことですが、まだ立雛が雛人形の主流でした。

 江戸も中期の享保時代、世の中は安定し庶民も飾るようになると、雛人形は次第に大きく豪華なものになってきました。そこで当時の将軍様、暴れん坊将軍吉宗が行ったのが享保の改革です。このお触れの中に「雛人形は高さ8寸(24cm)以内」というのがありました。困った人形師が編み出したのが、それまで大きな立雛だったのを「座らせる」ことでした。これが決定打となり、以後、雛人形は座ったかたちのものが主流になります。

 大名家では娘の嫁入りに雛人形を持たせることが通例になり、嫁入り道具のミニチュアをひな人形の道具としてそえるようになります。実際の嫁入り道具を、雛人形の大きさに合わせて小さく作るのですが、タンスの中の着物や小さな道具類も持参品そのままに縮小して作られ、世界でも類のない極めて精巧な人形の工芸文化がが誕生しました。

 こうして誕生した雛人形が今につながるのですが、その基本精神である「厄除け」「お守り」は変わりません。現代に雛人形を飾る意味を求めるなら、それは「入学」「入試」「結婚」「就職」「試合」「引っ越し」「独立」「大病」など人生の転機となるときの「厄除け」「お守り」です。特に入試や就職、結婚のときには飾っていただきたいと思います。以前は、ご結婚のとき、自分は次女なのでお雛さまがなく、嫁入り用に買いに来られる方もちらほらいらっしゃいました。

 このように、お雛さまは「何歳まで」と決めるものではなく、本来ならばその方の生涯にわたって飾られるものなのです。また、よく雛人形は「上巳の祓えのひとがた」と「ひいな遊びの人形」とが合わさってできあがった、という説明がされますが、「ひいな」とは「小さなもの」、鳥の「ひな」とか、「ひながた」などであって、人形のみを指す言葉ではありません。平安時代の書物にも出てくるひいなは、人の姿や犬猫、牛馬などの小さなおもちゃ、つまり子供が手でもてあそぶための玩具ですので、お雛さまにその「おもちゃ」の感覚が含まれているとは思えません。同じ「ひな」という言葉が使われるので、そのような誤解が生まれたのだと思いますが、「お雛さま」と最高敬称で呼ばれる人形と玩具の「ひいな」はまったく違う性格のものなのです。リカちゃんとわたるくんを並べて「お雛さま」だと言い張るようなものです。それはお雛さまではありません。

 「日本の女の子」はお守りとして自分の雛人形を持っているもの。最近、「体験の格差」ということを言われますが、「ひな祭り」という体験をされているかどうか、そのこと自体がお子様の心の発育とアイデンティティの確立(愛されて育ったという自信)の大きな支えになります(もちろん、ひな祭りだけではありません)。それは、単なる体験ではなく、ご家族からの祝福、愛情、祈りが凝縮したものであり、生涯、目に見えるかたちで繰り返し確認できるものだからです。

長文お読みいただき感謝

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