連載 五月人形の重箱のスミ 87

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甲冑 兜 ~その二十四~

 正平六年六月一日

鎧に入った正平六年六月一日

兜の吹き返しなどにもついていることがあります。

 

正平六年六月一日

 唐獅子のところで少し触れましたが、鎧や兜の革の部分にたまに「正平六年六月一日」と書かれていることがあります。これはなにかというと、この革に描かれている唐獅子や牡丹、唐草模様が朝廷の許しを得たものであるという証なのです。

 南北朝時代、後醍醐天皇の皇子・懐良(かねよし、もりなが)親王が征西大将軍として九州で勢力を伸ばしました。その時、肥後の国・八代の甲冑造りの職人が、当時用いることを禁じられていた獅子や牡丹、唐草模様の革を勝手に使っているのを知りこらしめようとしたのですが、その出来映えの素晴らしさに免じて使うことを許したのが正平六年(1357)六月一日だったのです。この革を正平御免革(しょうへいごめんがわ)と呼ばれるようになりました。

 子供の頃、この文字が書いてある鎧や兜を探して喜んでいました。けれど、最近はとんと見かけなくなってしまいました。聞けば、どうもこの文字が書いてあると、革の半端なところを使ったもののように思われ、クレームがくることがあるらしいのです。私たちは、むしろ「当たり」「縁起が良い」と思っていましたが、どうも最近はそうではないらしいですね。本革を使っている高級品でしか見られなくなりました。

 意味を知るということ、それ以前に、知ろうとすること、興味を持つということが人生に深みを与えてくれるのではないかと思います。なぜ、そこにそんなものがついているのか?と疑問に思って、お尋ねいただければそこから意味や歴史の世界が広がります。節句飾りは、ふだん目にすることがほとんどないものですので、ご存じないことばかりだと思います。どうぞご遠慮なくお尋ねください。

 

節句文化研究会では、こうした 面倒臭いけどなんだか楽しい節句のお話を出前しています。カルチャースクール、各種団体、学校などお気軽にお問合せください。→HP最後のお問い合わせメールからどうぞ

これまで、いくつかの和文化カルチャースクール様、ロータリークラブ様、徳川美術館様、業界団体様、中学の授業などでお話させていただいています。

※この記事の無断引用は固くお断りします。

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