連載 五月人形の重箱のスミ 95

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弓と刀 ~その三~

 弓矢

矢に用いる羽根の柄の名前の一部。

(東洋文庫 貞丈雑記3より)

このように、弓は武士の誉れでもありました。矢も、鉄砲の弾のような消費物ではなく、一本一本職人が丹精し主要な矢には武将の名前も書き入れられました。矢の羽根も美しく揃えられ、主に鷹の風切羽根が用いられるのですが、その文様によってひとつずつ名前もつけられています。(画像)

余談(一) みたらし団子の語源。みたらし団子は御手洗団子と書いて、昔、下加茂神社の脇を流れる御手洗川(お参りの前に手を洗う川)にお祭りの時に団子屋さんが出て、そこから「みたらし団子」というようになったというのが通説です。一方、弓のことを古語で御執(みとらし)といい、なまって「みたらし」とよぶようになりました。そこで、串を弓に見立て、みたらし団子というようになった、という説もあります。どちらでもいいけど、ちょっと楽しいです。

余談(二)。平家物語をはじめ昔の戦闘のときにはあらかじめ、その戦場となる周辺の百姓の建物などは引き倒されたり、燃やされたりする場面が必ず出てきます。現代の戦争でも同様で、建物があるとその陰から狙い撃ちをされる恐れがあるので徹底的にこわされます。で、家を焼かれた百姓たちはどうするかというと、離れた丘の上などから戦況をじっと見守ります。そして、戦闘が終わると同時に倒れた武士の刀や弓矢、鎧兜を奪いにわーっと殺到します。矢一本、矢尻一個でも丹精込めたものは町で高く買ってもらえます。まして、鎧や刀はなおさらです。まだ息がある者はとどめをさされてはぎ取られます。究極のリサイクルです。百姓にとって敵も味方もへったくれもありません。ですから、いくさは百姓にとってそんなに悪いものではなかったのかもしれません。現代では、戦いの後に金目のものが残されることはそんなにありませんので、破壊された町の住民は悲惨なことになります。

 

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