連載 お雛さまの重箱のスミ 119

お雛さまの屏風 ~4~

 金屏風の縁起

本表装 絹目金屏風

絹絓(きぬしけ)屏風

裏箔屏風

繊維目のある金屏風

 

柳田国男 年中行事覚書

山磯遊び(三月三日)

「~雛の宵の可愛い飲食なども、本来はまた野外の楽しみを移したものらしく~」

結婚式、入学式、受章のお祝いなどおめでたい時に主人公の後ろに建てまわされるのが金屏風です。

柳田国男も書いているように、ひな祭りの三月三日は日中は海岸や川辺に出て楽しく飲み食いして遊び、日が暮れてきたら室内でお雛祭りをするというのが昔からの風習でした。古いお雛さまをこの日に川や海に流すということも行われたようです。

ひな祭りは宵祭りです。昔は今のような電灯がありませんので、行灯や燭台を灯し、お雛さまの脇に雪洞をともしました。そのあえかな明かりを金の屏風がレフ板の役割をして、お雛さまを少しでも明るく照らしたのです。長い間、金の屏風と雪洞はセットのようにお雛さまのまわりに並べられてきました。「うれしいひなまつり」の出だしは「明かりをつけましょぼんぼりに~」で、二番の出だしは「金の屏風にうつる灯を~」です。

一番目は絹目の金屏風です。絹地の上に金箔を施してあります。表面に少し柔らかさが出ます。

二番目は金紙の上に紬(つむぎ)の絹布を貼り付けてあります。紬の糸のこぶで手作り感のある表情になります。

三番目は薄い絹の布に裏から金紙を貼り付けてある「裏箔」という金屏風です。一番目と裏表の関係にあるような金屏風です。

四番目は手漉きの和紙のような繊維の目のある金紙です。面白い表情の屏風です。

平安時代には金屏風は見られませんが、室町時代になってさまざまな金の加工法が生み出されて多くの金屏風がつくられ、現在もお祝いの場によく用いられています。最も縁起の良い屏風とも言えるでしょう。

屏風の基本は六曲ですが、江戸時代になって二曲や八曲の屏風が作り始められたようです。三曲の屏風と言うのは、雛人形用以外に見たことがありません。

節句文化研究会では、こうした 面倒臭いけどなんだか楽しい節句のお話を出前しています。カルチャースクール、各種団体、学校などお気軽にお問合せください。→HP最後のお問い合わせメールからどうぞ

これまで、いくつかの和文化カルチャースクール様、生涯学習教室様、ロータリークラブ様、徳川美術館様、業界団体様、中学の授業などでお話させていただいています。

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連載 お雛さまの重箱のスミ 118

お雛さまの屏風 ~3~

 雲と霞(かすみ)の縁起

砂子遠山屏風(六曲一双)

砂子遠山屏風(三曲)

かすみ色々小石入

山と同じくらいお節句に用いられる絵柄に、「雲」や「霞(かすみ)」があります。これは古来、宮中で赤ちゃんの誕生などおめでたいことがあると御所の上に金色の霞がたなびくという「瑞祥」を表したものとされています。

一番上は金砂子屏風で、細かな金箔を手で振って雲を描いたものです。何種類かの色の違う金箔が用いられています。

二番目は同じ砂子屏風ですが、三曲の屏風ですので少し淡い雲の表現になっています。前に置かれるお雛さまがとても格調高く見えます。

三番目は一、二番目の砂子より少し大きめの金箔を用いています。これを小石とよびます。砂粒より少し大きいのですw。赤や青の箔も使い、明るい表情になっています。かわいい系のお雛さまも品良く飾ることができます。

「縁起」や「様式」にのっとるというとちょっと堅苦しく聞こえますが、様式にのっとってお人形や雛道具を組み合わせると、自然に上品なひと揃いになるのが不思議です。

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連載 お雛さまの重箱のスミ 117

お雛さまの屏風 ~2~

 遠山屏風と縁起

遠山屏風

引き箔 東山屏風

彩 遠山屏風

お雛さまに限らず、端午の節句のときにも屛風に山々がえがかれているのをよく見られます。これは、山々が連なるさまが子孫が代々栄えることにつながると考えられ、特にお子様のお祝いの行事には縁起物としてよく用いられるようになりました。妊婦さんのおなかを連想するところからとも言われています。

一番上は遠山柄で、数種類の細かな金箔で連なる山々が描かれています。印刷ではなく、金箔を手で振って描きますので、ひとつずつ微妙に異なった仕上がりになります。

二番目は東山柄とよんでいます。京都東山の姿でしょうか。手描きの山の上に金箔をすり込む「引き箔」という技法で作られています。古典的な雰囲気がかもしだされます。

三番目は遠くかすんだような山々が描かれています。彩遠山(いろとおやま)と呼ばれていますが、裾野にうっすらと金粉で霞が描かれ、前に並べるお雛さまが引き立つ屏風です。

お雛さまは「厄除け」「お守り」といわれます。そのためには「縁起」がとても大切になります。何百年にもわたって磨かれてきたお雛さまの「様式美」は、この「縁起」と切り離せない関係にあります。近年は、板目の屏風など、縁起とは無縁のものも現れていますが、このような小難しいことではなく、見た目が美しいということからお選びいただくだけで自然と縁起にかなったお雛さまになるように思います。

※よく、お部屋の雰囲気に合うかどうかを言われることがありますが、お雛さまは普段の日常の品ではありません。お節句のその日を祝うもので、インテリア小物ではないのです。むしろ、どなたが見ても「お雛さまだ!」と分かるくらいのものの方が本来のお雛さまの意味にかなっています。また、ベビー用品としてお選びになる方もありますが、ちゃんとしたお雛さまは80歳になっても飾っていただけるようにこしらえられています。人生の最初の数年間だけしか飾れないものでは、少しもったいない気がします。

 

 

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連載 お雛さまの重箱のスミ 116

お雛さまの屏風 ~1~

 屏風の絵

源氏物語絵巻の屏風

四季の草花

手描き桜

昔のお雛さまの屏風には、花鳥風月や絵巻物のような絵がよく描かれています。わが国最古の屏風と言われる鳥毛立女図屏風もあるように、絵師にとっては、屏風や襖は格好のキャンバスだったのでしょう。

近年、お雛さまにこうした絵が描かれているものは少なくなりましたが、このように絵師の描いた屏風があると同じお雛さまでも楽しさや豪華さが倍増します。ここに揚げたのはちゃんとした日本画家によって描かれたもので、和紙できちんと表具がされたものに描かれています。

ちょうど今、徳川美術館で国宝の源氏物語絵巻が公開されています。その源氏絵巻から画題を採ったものが一番上の屏風です。

二番目は四季の草花を優しい色合いで描いてもらいました。

三番目は咲き誇る桜です。前に飾るお雛さまが美しく見えるよう、淡い色合いで描かれています。いずれも手描きですので同じものはありません。

 

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連載 重箱のスミ 白馬の節会 115

 一月七日は白馬の節会(または子の日の祝)

 

美しい白馬の置物。海外でも喜ばれます。

神功皇后と武内宿禰(たけのうちのすくね)

宿禰の抱いているのが応神天皇。八幡様です。

来年の干支の和凧。天高く跳ね上がりますよう

来年は「午歳」です。前にも触れた「白馬の節会(あおうまのせちえ)」にもからみ、馬のお話・・・書きながら気が付いた不思議な符合。一月七日は古来、「子の日の祝い」として若菜を摘み、七草粥をいただく日です。同じ日、「白馬(あおうま)の節会」として御所では天皇以下家臣がそろって白馬をご覧になる行事が行われました。「子」は北極を意味し、「午」は南極を意味します。子午線とはこの両極を結ぶ線のこと。同じ日に「子」と「午」を祝う行事が行われていたのですね。なにか意味があるのでしょうか

 馬は古代の日本にはおらず、3~4世紀頃モンゴルから朝鮮半島、対馬を経由して九州地方に伝わったと言われています。

 かつて、端午の節句に白馬に乗った神功皇后のお人形が良く飾られましたが、そうするとその姿はちょっと怪しいかもしれません。逆に、朝鮮半島に乗り込んだ皇后が馬を日本に伝えたのかも?

 この皇后の乗っている馬も白馬です。前にアルビノと書きましたが、アルビノではない白馬もいます。数年前、桜花賞を勝ったソダシという純白の牝馬がいました。栗毛や鹿毛に交じって疾走する姿が絵のように美しい馬でした。

 源平の戦いのクライマックス、ひよどり越えのとき、崖を降りる鹿の姿を見て義経は「鹿も四つ足、馬も四つ足」と言って軍を率いて騎馬のまま崖を下り、崖からは攻めてこないと安心していた平家を破りました。このとき、弁慶は馬がかわいそうと言って、馬を担いで下りました。小さくても馬は400~500㎏ありますので、無茶苦茶な話です。鹿は偶蹄類でヒヅメが二つで、狭い岩場でも上手に登ったり下りたりできます。対して、馬は奇蹄類(単蹄)で体も大きいので、狭い岩場などを下りたりするのは苦手です。物語ですので「すごいな~」と感心するにとどめて下さい。

 馬は蹄が一つですが、それは中指の爪が分厚く進化したものです。つまり、馬は四本足というものの、実は四本の中指で、しかも、その爪だけで立っているのです。更に、ヒジやヒザのように見えるところは、実は手首と足首です。ヒジやヒザ部分は胴体のすぐ下、足の付け根にあります。速く走るために進化したのですね。陸上競技でも、短距離走の場合はかかとをつけず足の先で走ります。人間もそのうち進化してつま先で歩く人が出てくるかもしれません。

 写真は、縁起物としてお正月(白馬の節会)や端午の節句に飾られる置物です。桐塑を使ってひとつずつ手で胴を作り、純白の越前奉書紙を細かくちぎりながら貼り付けて美しい毛並みを表現します。タテガミやシッポ、房紐などは絹でできています。世界中に多くの馬の置物がありますが、最も手の込んだ美しいものです。残念ながら手作りのため、型で作られる陶製の馬のように量産できず、ブランド名もありません。価格は有名なブランド陶器の数分の一です。作品そのものの価値とブランドの価値とをどう考えるか、価値観が問われます。海外への贈り物に喜ばれる品のひとつですが、あまり市場には出回りません。

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連載 お雛さまの重箱のスミ 114

 貝合せと源氏物語絵巻

徳川義崇 徳川美術館館長

左端は処理前のハマグリ。少し黒ずんで

います。薬品処理の後、ペーパーで磨き

きれいにします。大小さまざま

こんな風に飾ることも・・なんか

楽しいですね

徳川美術館では開館90周年記念特別展「国宝 源氏物語絵巻」が開催中です。

さっそく拝見にうかがいました。残念ながら、源氏絵巻に書かれている文は私にはほとんど読めません。しかし、絵の方は八百年近い年月が経っているにもかかわらず(※)、きれいな色彩が残っています。さらに、その絵を科学的に解析し、当時のものに近い紙、絵の具を用いて描かれた「復元模写」が同時に展示されており、こちらは本当にきれい。その復元した方の中に林功先生の名前を発見し、感無量です。かつて、名古屋城本丸御殿の襖絵などの復元模写にご尽力をいただいた復元模写の第一人者で、何度かお目にかかる機会を得、県芸大のアトリエにもお邪魔した先生です。惜しくも本丸御殿の完成を見ず、中国で事故死されました。25年前の11月でした。

図らずも、先生の描かれた絵が当店で作っている貝合せの絵柄にもあり、ちょっと感激。

実は、貝合わせは紫式部の時代にはまだなかったようです。きれいな貝殻を集めて競い合う「貝合わせ」はあったようですが、源氏物語には今のような貝合せのことは書かれていません。

貝にはハマグリを使います。幸いにもハマグリの名産地桑名が近いので、ときどき桑名まで買いに行きます。自然のハマグリは写真の左のように黒っぽい薄皮におおわれています。これを薬品で溶かし、サンドペーパーで磨いたりして右のようなきれいな状態にします。その後、当店では本金箔を内側に押し(貼り)、絵を描きます。大きいのや小さいのまで色々です。お雛さまの前にこんな風に飾るととてもきれいで、楽しいお飾りになります。貝がたくさんあると、本当に貝合わせも楽しめます。販売中。

※源氏物語は平安時代(西暦1000年くらい)に紫式部によって書かれた世界初の長編小説ですが、印刷技術があるわけではないのでその後、多くの書写本が能筆家によって書写されました。この国宝絵巻も鎌倉時代に描かれたものと推定されています。

 

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連載 お雛さまの重箱のスミ 113

お雛さまの手 手足師  澤野さんの仕事

先日もこの記事を揚げたのですが、ネット上の何かの不都合でこの記事を含め№113以降が消えてしまいました。保管してある記事から少しずつ再掲していきます。御迷惑をお掛けしました。(こんなことがあるんですね)

男雛の手 袖から出ている部分は

10ミリほどです

女雛の手。指先がふっくらとし、爪が

刻まれています。

桐の木の棒の両端に一組ずつ作ります

 

ひとつの雛人形は、たくさんのパーツの職人によってできあがっていることは前にも述べました。

今月、その中で「手足」だけをこしらえる職人さんが「現代の名工」に選ばれました。実にうれしいニュースです。なくてはならないものなのに、ほとんど注目されることのないお仕事です。わたしたちにとっては、「澤野の手」というとそれなりのお人形でないと使えない特別なものなのです。

澤野正さん。人形の手足だけを作り続けておられます。

絵画、彫刻の世界でも、手や指先の表情はお顔の表情とともに特に重要視されます。手、指先の表現だけで性別や年齢、時には職業や地位、人間性までもがそこにあらわれるからです。

雛人形の場合には、主体が「姫」や「殿」ですので、古典文学にあらわされるように手は「ぷくぷくとした」上品でゆたかなものでなければなりません。手の甲はふっくらと、指は長めに、指先の腹はこころもち丸くふくらませます。上級品の場合には指一本一本に淡紅色の爪まで描かれます。同じように作られているようですが、人形本体の職人さんごとに少しずつかたちを変えて作られています。まさに超絶技巧です。

よく「木製」と表示されている手のついたお雛さまがありますが、澤野師の場合は木製の手の甲に、指の芯となる針金を一本一本さしこみ、全体を胡粉で肉付けした上で指を一本ずつ彫刻しますので、「木製」ではありません。しいて言えば「針金・胡粉製」です。針金を芯にすることによって、微妙な指の表現が可能になっています。

若干、ひっかかるのは師の仕事が「装身具等身の回り品」の中の「玩具製造工」に分類されていることです。「金属加工」、「造園士」、「食料品製造」など二十数項目に分類されているのですが、この仕事が「玩具」に分類されるのにはいささか抵抗があります。「節句品製造」のような項目があるといいのですが難しいのでしょうか。私たちの感覚としては、神具や仏具に近いように思います。

※玩具とは「もてあそぶもの」という意味です。雛人形をもてあそぶことは、まずありません。どちらかと言えば、祝い、祈る対象です。

 

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人形供養 大須観音さま

名古屋人形供養

 大須観音様で恒例の「名古屋人形供養」が催されます。

日時:10月2日(木) 9時~正午

場所:大須観音様境内

受付:直接、大須観音境内にご持参ください。車での乗り入れ可能です。

人形、節句品、ぬいぐるみなど。 ガラス、金属は受け付けられません。ただし、鎧・兜などの五月人形はその精神から承ります。

お志:一点、または一組 3000円程度。

事前受付:当店で9月30日まで承ります。当日、大須観音様へ来られない方はどうぞお越しください。供養の当日、大須観音様へ代行持参してご供養いたします。ご来店のときはご一報ください。

 

※全国でも屈指の荘厳な人形供養会です。お預りしたお人形は、護摩木にて本堂内で大勢の僧侶が読経供養いたします。ご希望の方は、その前でご焼香できます。その後、精抜き(魂抜き)ののち、焼却・お焚き上げいたします。

※飾ることや、保管が難しくなったお人形類を供養いたします。雛人形、五月人形は赤ちゃんのときに贈られる唯一といってもいい一生物のお守りです。可能であれば、大人になっても、おばあちゃんおじいちゃんになっても、毎年の節句のしつらえとしてお飾りください。大きなお雛さまや五月人形の場合、持ち主様がお元気なら本体(男雛女雛、鎧・兜)だけでも残されることをお勧めします。

連載 お正月飾りの重箱のスミ 112

五節句とお正月 ~その二~

 お正月の節句飾り

お正月飾り

宝尽くしのお三方に縮緬細工のお鏡餅

 

 雛祭りには「桃」、端午には「菖蒲」など、節句にはそれぞれ象徴する草花があります。お正月は「松」であることにだれも異論はないでしょう。でも、一月七日にするとそれが「春の七草」になってしまいます。奇妙です。

 わたしたち節句品をあつかう者にとっても、お正月は「門松」であったり「破魔弓」「羽子板」「凧や独楽(コマ)」、「お鏡餅」など数々のしつらえの商品がありますが、一月一日が節句でないとすると破魔弓や羽子板は節句品ではなくなってしまいます。

 更にさらに、節句というもの自体、実は明治五年に暦から法的に削除されています。つまり、今の節句行事は民間が「勝手に」やっていることなのです。ですから、五月五日は「子供の日」で、「端午の節句」ではありません。この日を「端午の節句」とすると、「じゃ、他の四つの節句はどうするの?」ということになります。そうするとお正月(一月)は一体どっちを節句にしたらいいんだ?という面倒なことになるので、五節句が公的に認められるのはまだまだ先のことでしょう。

 そこで、われわれ節句品を扱う業者は、「勝手に」一月一日を「お節句」として破魔弓や羽子板などのお正月の「節句品」を扱わせていただいているのです。

 こんなことを考えるのは、重箱のスミっこにへばりついている米粒をなんとかほじくり出そうとするのに似ています(笑)。

 

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連載 お正月飾りの重箱のスミ 111

五節句と正月 ~その一~

 正月と人日

国宝?じゃなくて羽子板「藤娘」

 

お正月って、いつ?

 一月一日に決まっています(新暦、旧暦ありますが)。しかし、雛祭り、端午の節句、七夕、重陽の節句とならべたときのお正月は一月一日ではありません。一月七日なのです。お正月と言わず「人日(じんじつ)」といいます。

 かつては一と一、三と三のように奇数の月日の重なる日を節句と言い、五つの節句を「五節句」と呼んでいました。ところが、今はお正月はそこから外されて人日が節句になっています。この妙な現象が生み出されたのは千六百十六年、江戸時代のはじめのことです。ずいぶん昔から人日はあったように思われていますが、それまで人日は日本の書物には見当たりません(浅い知識ですが)。一月七日に祝うのは日本では古来、「初子(はつね)の祝」または「白馬(あおうま)の節会」です。(初子の祝いは初めての子の日に行われていたのですが、一日だったり十二日だったりするので平安時代に七日に行われるようになりました)

 中国の「荊楚歳時記(けいそさいじき)」という古い書物に書かれているから、ということで人日が五節句のひとつに加えられてしまったのです。以降、奈良時代からずっと節句の筆頭であった一月一日は節句ではなくなりました。

 理由は、「江戸城が混雑するから」というものです。お正月は行事もいろいろあるし、節句行事だけでも七日にずらせばちょっと楽になるかも・・くらいの感覚だったようで、実に簡単に決められてしまったみたいです。礼法の旧家、伊勢流の伊勢貞丈がそのときのことをめちゃくちゃ怒っています。

「~(古来初子の日は)『倚松根以摩腰、和菜羹而啜口(松の根に腰をこすりつけ、若菜の雑炊をすする)』とあり、子の日の行事の証拠である。~中略~宮中では昔から七日の大儀は白馬の節会であり、~中略~白馬の節会が催されない時は昔からの説により七種の菜羹を食し祝うだけであって、これは節句ではない。元和二年(千六百十六)一條家によって人日が五節句のはじめであるという説が出され、まことにずさんと言うべきであろうが、この説に多くが賛成し節句の最初は人日に決められてしまった。ぷんぷん」(八朔考、筆者訳)

 もとは宮中行事であった節句を勝手に幕府が修正したことにも怒っています。しかも、その江戸時代から今日に至るまで、「人日」の行事が行われたことは一度もありません。人日は「人を占う日」です。一日から鶏、犬、羊、猪、牛、馬、と続き、七日に人、八日に穀物を占うとありますが、それをどこでだれが占ったのか皆目わかりません。たぶん、だれもやっていません。よく、日本では七草粥をいただく日、とされていますが、七草粥をいただくのは奈良時代から続くわが国の伝統的な行事、「初子の祝」でいただくもので人日とは関係がないのです。中国では一日の鶏を占う日には鶏を食べない(殺さない)決まりだったそうです。これにならえば、人日を祝う人はお正月のおせちやお雑煮に鶏肉を使ってはいけません。四日目はとんかつ禁止です。五日はすき焼き牛丼禁止と続きます。人日には処刑は行われなかったそうです。八日はご飯やパンは禁止です。しかし、現在、中国では人日は行われていません。何人かの中国人に尋ねてみましたが人日という言葉も知りませんでした。本家中国でも行われていないのに、日本人だけがわけも分からず人日、人日と言って七草粥をいただいているのです。   ~次回112につづく~

 

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