手足師 澤野正さん(京都)が現代の名工を受賞されました。
華やかな雛人形の中で最も目立たない隅っこの小さなパーツにスポットライトがあてられたようで、この重箱のスミを連載している者として実に感慨深いものがあります。おめでとうございます!
前項、名古屋の山田餅さん同様、うれしいニュースです。

男雛の手

女雛の手

こんな風に一本の棒の両側に一組の
手をこしらえます
ひと組の雛人形は、たくさんのパーツの職人の手によってできあがっていることは前にも述べました。
今回、その中で「手足」だけをこしらえる澤野さんが「現代の名工」に選ばれました。実にうれしいニュースです。なくてはならないものなのに、ほとんど注目されることのないお仕事です。そして、わたしたちにとっては「澤野の手」というとそれなりのお人形でないと使えない特別なものなのです。
絵画、彫刻の世界でも、手や指先の表情はお顔の表情とともに特に重要視されます。手、指先の表現だけで性別や年齢、時には職業や地位、人間性までもがそこにあらわれるからです。
雛人形の場合には、主体が「姫」や「殿」ですので、古典文学にあらわされるように手は「ぷくぷくとした」上品でゆたかなものでなければなりません。手の甲はふっくらと、指は長めに、指先の腹はこころもち丸くふくらませます。上級品の場合には指一本一本に淡紅色の爪まで刻まれます。同じように見えますが、人形本体の職人さんごとに少しずつかたちを変えて作られています。まさに超絶技巧です。
よく「木製」と表示された手のついたお雛さまがありますが、澤野師の場合は木製の手の甲に、指の芯となる針金を一本一本さしこみ、全体を胡粉で肉付けした上で指を一本ずつ彫刻しますので、「木製」ではありません。針金を芯にすることによって、繊細な指の表現が可能になっています。
若干、ひっかかるのは師の仕事が「装身具等身の回り品」の中の「玩具製造工(※)」に分類されていることです。「金属加工」、「造園士」、「食料品製造」など二十数項目に分類されている中で、この仕事が「身の回り品」の「玩具」に分類されるのにはいささか抵抗があります。「節句人形製造工」のような項目があるといいのですが難しいのでしょうね。私たちの感覚としては、美術工芸品や神具、仏具に近いように思います。
※玩具とは「もてあそぶもの」という意味です。雛人形をもてあそぶことは、まずありません。どちらかと言えば、祝い、祈る対象です。
節句文化研究会では、こうした 面倒臭いけどなんだか楽しい節句のお話を出前しています。カルチャースクール、各種団体、学校などお気軽にお問合せください。→HP最後のお問い合わせメールからどうぞ
これまで、いくつかの和文化カルチャースクール様、生涯学習教室様、ロータリークラブ様、徳川美術館様、業界団体様、中学の授業などでお話させていただいています。
※この記事の無断引用は固くお断りします
山田餅さん、現代の名工受賞
おめでとうございます!
この稿を揚げた翌日、うれしい発表がありました。
お餅で現代の名工とは!! 季節感、節句を大切に
される方でもあります。
お餅とお団子

宝尽くしのお三方と鏡餅
ただし、縮緬と綿で作られています
(当店製)

みたらし団子
お正月にはお鏡餅を供え、お雑煮をいただきます。お団子にくらべ、お餅には何となくめでたさという隠し味が入っているような気がします。お餅とお団子はどう違うのでしょうか?
いまでは、お餅はもち米を搗く、お団子は米粉を練ってつくるという違いがありますが、大きな餅つき用の臼や、米粉をひく碾臼(ひきうす)がができるまではお餅も団子も違いはなかったようです。
お餅は鏡餅に代表されるように円く二段にかさねたり、大きく平らにのばして切り餅にして節日や祭りの日に供されるのに対し、お団子は小さくまるめられ、きな粉やあんこをまぶしたり、串にさしてみたらし団子にして普段でも食べられます。こうしたことから、その形状とともに、節句など特別な日のお餅と日常的なお団子という用途によるわけ方ができそうです。
柳田国男は、「(餅やこわ飯をつくることはなかなか時間と労力のかかるものであった)~中略~農家では種々なる食料を取り合わせて、ふだんの簡単な食事にあてていたのである。それ故に(餅を作ることは)『節日時折』は興奮であり、また大きな期待であった。」と言う風にお餅のことを考えています。(カッコ『』は筆者)
前にもお鏡餅のところで載せましたが、民俗学者の吉野裕子はお鏡餅とヘビのトグロの姿の共通性を論じています。鏡(かがみ)と言う言葉もヘビからきているのではないか。ヤマカガシという名の蛇がいるように、カガというのはヘビの古名で鏡という名称自体も、ヘビのマナコから来ているのではないかというのです。ヘビはあまり気持ちの良い生き物ではありませんが、古代人は脱皮によって生まれ変わる生命力の強い動物として崇めていたようで、お鏡餅はその象徴というわけです。
お鏡餅がヘビのかたちと考えると、私などはちょっと食欲が減退しますのであまり考えないようにしていますが、お餅に特別な意味があるという点では柳田国男と同じです。
柳田国男はまた節供の日のことを、「(節供の日には)大体に毎日の日常の業務から遠ざかり、何もしないで遊んでいればよかったので、結果においては休息と同じ場合が多く、この義務は守るに難くなかった。しかし、世の中が進み生活の事情が変わって、節日でも働きたい、働かずにはいられぬという人が多くなると、問題はまた別なものになってくるのである。遊んでただ餅を食っただけでは節日ではなく、もちろんイワイということもできなかった。それと同じように、節供を常の日の如く働きつつ、餅だけは食おうとする者も、以前は許さなかったが、今日はもうどうすることもできない。」(下線筆者)と言っています。かつては、節供は働いてはならぬ日。その日に働くものは「なまけ者の節供働き」と馬鹿にされました。
節供とは「一月一日」「三月三日」「五月五日」「七月七日」「九月九日」の五つです。本来はただの休息日と違い、働いてはならぬ日、身を慎み、静かに過ごす日であったようです。イワイという言葉の意味も「酒飲んで、ご馳走食べてパーっとやる」というのと昔はちょっと違っていました。
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<お詫び>
実は先日、何者かのハッキングによってこの連載の№113以降が消えてしまいました。原稿の保管してあるもの(ほとんど保管していない!トホホ)は復活させますが、新たに今回から再開したいと思います。どうぞよろしく。(今回は復活版)
「白馬(あおうま)の節会」のお話です

桐塑の胴、越前和紙の毛並、シルクの尾・
タテガミの白馬。海外への記念品にも
喜ばれます。世界に類のない飾り馬です。

神功皇后と武内宿禰。抱かれているのが
応神天皇。端午の節句飾り
№111で触れた、一月七日の「白馬の節会」にからみ・・・
馬は古代の日本にはおらず、3~4世紀頃モンゴルから朝鮮半島、対馬を経由して九州地方に伝わったと言われています。
かつて、端午の節句に白馬に乗った神功皇后のお人形が良く飾られましたが、その姿はちょっと怪しいかもしれません。逆に、朝鮮半島に乗り込んだ皇后が馬を日本に伝えたのかも?
この皇后の乗っている馬もたいていは白馬です。前にアルビノと書きましたが、アルビノではない白馬もいます。数年前、桜花賞を勝ったソダシという純白の牝馬がいました。栗毛や鹿毛に交じって疾走する姿が絵のように美しい馬でした。
源平の戦いのクライマックス、ひよどり越えのとき、崖を降りる鹿の姿を見て義経は「鹿も四つ足、馬も四つ足」と言って軍を率いて騎馬のまま崖を下り、崖からは攻めてこないと安心していた平家を破りました。このとき、弁慶は馬がかわいそうと言って、馬を担いで下りました。小さくても馬は400~500㎏ありますので、無茶苦茶な話です。鹿は偶蹄類でヒヅメが二つで、狭い岩場でも上手に登ったり下りたりできます。対して、馬は奇蹄類(単蹄)で体も大きいので、狭い岩場などを降りたりするのは苦手です。物語ですので「すごいな~」と感心するにとどめて下さい。
馬は蹄が一つですが、それは中指の爪が分厚く進化したものです。つまり、馬は四本足というものの、実は四本の中指で、しかも、その爪だけで立っているのです。更に、ヒジやヒザのように見えるところは、実は手首足首です。ヒジやヒザ部分は胴体のすぐ下、足の付け根にあります。速く走るために進化したのですね。陸上競技でも、短距離走の場合はかかとをつけず足の先で走ります。人間もそのうち進化してつま先で歩く人も出てくるかもしれません。
写真は、縁起物としてお正月(白馬の節会)や端午の節句に飾られる置物です。桐塑を使ってひとつずつ手で胴を作り、純白の越前奉書紙を細かくちぎりながら貼り付けて美しい毛並みを表現します。タテガミやシッポ、房紐などは絹でできています。世界中に多くの馬の置物がありますが、最も手の込んだ美しいものです。しかし、残念ながら手作りのため、型で作られる陶製の馬のように量産できず、ブランド名もありません。価格は有名なブランド陶器の数分の一です。作品そのものの価値とブランドの価値とをどう考えるか、価値観が問われます。海外への贈り物に喜ばれる品のひとつですが、あまり市場には出回りません。
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名古屋人形供養

大須観音様で恒例の「名古屋人形供養」が催されます。
日時:10月2日(木) 9時~正午
場所:大須観音様境内
受付:直接、大須観音境内にご持参ください。車での乗り入れ可能です。
人形、節句品、ぬいぐるみなど。 ガラス、金属は受け付けられません。ただし、鎧・兜などの五月人形はその精神から承ります。
お志:一点、または一組 3000円程度。
事前受付:当店で9月30日まで承ります。当日、大須観音様へ来られない方はどうぞお越しください。供養の当日、大須観音様へ代行持参してご供養いたします。ご来店のときはご一報ください。
※全国でも屈指の荘厳な人形供養会です。お預りしたお人形は、護摩木にて本堂内で大勢の僧侶が読経供養いたします。ご希望の方は、その前でご焼香できます。その後、精抜き(魂抜き)ののち、焼却・お焚き上げいたします。
※飾ることや、保管が難しくなったお人形類を供養いたします。雛人形、五月人形は赤ちゃんのときに贈られる唯一といってもいい一生物のお守りです。可能であれば、大人になっても、おばあちゃんおじいちゃんになっても、毎年の節句のしつらえとしてお飾りください。大きなお雛さまや五月人形の場合、持ち主様がお元気なら本体(男雛女雛、鎧・兜)だけでも残されることをお勧めします。
五節句とお正月 ~その二~
お正月の節句飾り

お正月飾り
宝尽くしのお三方に縮緬細工のお鏡餅
雛祭りには「桃」、端午には「菖蒲」など、節句にはそれぞれ象徴する草花があります。お正月は「松」であることにだれも異論はないでしょう。でも、一月のお節句が七日だとするとそれが「春の七草」になってしまいます。奇妙です。
わたしたち節句品をあつかう者にとっても、お正月は「門松」であったり「破魔弓」「羽子板」「凧や独楽(コマ)」、「お鏡餅」など数々のしつらえの商品がありますが、一月一日が節句でないとすると破魔弓や羽子板は節句品ではなくなってしまいます。
更にさらに、節句というもの自体、実は明治五年に暦から法的に削除されています。つまり、今の節句行事は民間が「勝手に」やっていることなのです。ですから、国の祝日 五月五日は「子供の日」で、「端午の節句」ではありません。この日を「端午の節句」とすると、「じゃ、他の四つの節句はどうするの?」ということになります。そうするとお正月(一月)は一体どっちを節句にしたらいいんだ?という面倒なことになるので、五節句が公的に認められるのはまだまだ先のことでしょう。
そこで、われわれ節句品を扱う業者は、「勝手に」一月一日を「お節句」として破魔弓や羽子板などのお正月の「節句品」を扱わせていただいているのです。
こんなことを考えるのは、重箱のスミっこにへばりついている米粒をなんとかほじくり出そうとするのに似ています(笑)。
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五節句と正月 ~その一~
正月と人日

国宝?じゃなくて羽子板「藤娘」
お正月って、いつ?
一月一日に決まっています(新暦、旧暦ありますが)。しかし、雛祭り、端午の節句、七夕、重陽の節句とならべたときのお正月は一月一日ではありません。一月七日なのです。お正月と言わず「人日(じんじつ)」といいます。
かつては一と一、三と三のように奇数の月日の重なる日を節句と言い、五つの節句を「五節句」と呼んでいました。ところが、今はお正月はそこから外されて人日が節句になっています。この妙な現象が生み出されたのは千六百十六年、江戸時代のはじめのことです。ずいぶん昔から人日はあったように思われていますが、それまで人日は日本の書物には見当たりません(浅い知識ですが)。一月七日に祝うのは日本では古来、「初子(はつね)の祝」または「白馬(あおうま)の節会」です。(初子の祝いは初めての子の日に行われていたのですが、一日だったり十二日だったりするので平安時代に七日に行われるようになりました)
中国の「荊楚歳時記(けいそさいじき)」という古い書物に書かれているから、ということで江戸時代に人日が五節句のひとつに加えられてしまったのです。以降、奈良時代からずっと節句の筆頭であった一月一日は節句ではなくなりました。
理由は、「江戸城があいさつ回りで混雑するから」というものです。お正月は行事もいろいろあるし、節句行事だけでも七日にずらせばちょっと楽になるかも・・くらいの感覚だったようで、実に簡単に決められてしまったみたいです。礼法の旧家、伊勢流の伊勢貞丈がそのときのことをめちゃくちゃ怒っています。
「~(古来初子の日は)『倚松根以摩腰、和菜羹而啜口(松の根に腰をこすりつけ、若菜の雑炊をすする)』とあり、子の日の行事の証拠である。~中略~宮中では昔から七日の大儀は白馬の節会であり、~中略~白馬の節会が催されない時は昔からの説により七種の菜羹を食し祝うだけであって、これは節句ではない。元和二年(千六百十六)一條家によって人日が五節句のはじめであるという説が出され、まことにずさんと言うべきであろうが、この説に多くが賛成し節句の最初は人日に決められてしまった。ぷんぷん」(八朔考、筆者訳)
もとは宮中行事であった節句を勝手に幕府が修正したことにも怒っています。しかも、その江戸時代から今日に至るまで、「人日」の行事が行われたことは一度もありません。人日は「人を占う日」です。一日から鶏、犬、羊、猪、牛、馬、と続き、七日に人、八日に穀物を占うとありますが、それをどこでだれが占ったのか皆目わかりません。たぶん、だれもやっていません。よく、日本では七草粥をいただく日、とされていますが、七草粥をいただくのは奈良時代から続くわが国の伝統的な行事、「初子の祝」でいただくもので人日とは関係がないのです。中国では一日の鶏を占う日には鶏を食べない(殺さない)決まりだったそうです。これにならえば、お正月のおせちやお雑煮に鶏肉を入れてはいけません。四日目はとんかつ禁止です。五日はすき焼き牛丼禁止と続きます。人日には処刑は行われなかったそうです。八日はご飯やパンは禁止です。しかし、現在、中国でも人日は行われていません。何人かの中国人に尋ねてみましたが人日という言葉も知りませんでした。本家中国でも行われていないのに、日本人だけがわけも分からず人日、人日と言って七草粥をいただいているのです。 ~次回112につづく~
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破魔弓 ~その三~
知ってる「はず」

破魔弓の矢 矢の矢筈
下端が矢尻 ハチクマタカの最高級矢羽根

破魔弓の弓 蒔絵入 掛軸をかける矢筈
上端が末弭、下端が本弭
「知ってるハズ」、「そんなハズはない」などと使う「ハズ」という言葉、これは弓、矢の部分の名から来ています。
弓の両端の弦を結わえる部分、上を「末弭(うらはず)」、下を「本弭(もとはず)」、総称して「弓弭(ゆはず、ゆみはず)」と言います。
一方、矢にもハズがあり、それは弓の弦につがえる二股になった部分です。これを「矢筈(やはず)」と言います。
「~の筈なのに」という使い方のときには、矢の方の筈の字を使います。これは、外れることがないという意味から来ているそうです。
おもしろいのは、お相撲でもこの言葉を使うことです。相手の脇や胸のところを、親指を開いた状態で押すのを「はず押し」といいます。手のかたちが矢筈に似ていることからきています。単に手を当てて押すことではなく、矢筈のかたちから名付けられているところが興味深いですね。
もうひとつ、「矢筈」という名の別のものがあります。それは写真の掛軸などを掛けるときにつかう竿のことです。先が二股にわかれていてここに掛軸のひもをひっかけて吊るします。矢の筈のかたちのものもあり、それの方が古いかたちなのでしょう、ウグイスのくちばしに似ていることから「うぐいす竿」とも呼ばれます。
はずは外れない意味を持っているはずなのに、外れることをはずれというのはなぜでしょう(早口言葉みたいです)。
弓矢には部分部分に名称があり、その一部だけ載せておきます。破魔弓には籐を巻いた弓が主に使われますが、これを重籐(しげとう)の弓、重籐巻の弓と呼びます。平家物語にも出てきます。
羽生結弦さんの名前を見るたび、美しい矢をつがえた弓を連想して「いい名前だな」といつも思っていました。細身でしなやかな弓のような演技をされます。
ほんとにどうでもいい重箱のスミのことでした。お相撲を見るときちょっと思い出して下さい。
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破魔弓 ~その二~
矢の本数 「四方拝」

現代的なデザインに見えますが、伝統工芸品の
駿河千筋細工を用いた、竹と木でできた破魔弓。
矢羽根は天然のフクロウです。壁に掛けて飾る
こともできます。五本矢。当店製
破魔弓飾の矢の本数をお訊ねになる方がいらっしゃいますが、特になにかのこだわりがなければ本数にあまり意味はありません。しかし、中に「四ツ矢飾り」と銘打っている商品があります。その由来は、「四方拝(しほうはい)」という儀式にあります。
前項で述べたように「大祓」は年に二度あり、冬は十二月三十一日に行われます。そして翌一月一日の未明、帝によって四方拝が宮中、神嘉殿の南の庭で行われます。普通の儀式で帝が地面に降りることはないのですが、この四方拝は地面に降り、屛風を立てまわした中で四方と天地に向かって礼拝します。現在は天皇家の私的な行事になっていますが、新嘗祭などと同様に代拝のできない重要な儀式のひとつとされています。一部の神社や弓道家でも四方拝は行われ、その際に四方に矢を射ることがあります。これをもって四方矢、四ツ矢の由縁とされているのです。ところが、神社などによっては、四方に射た後、天に向かって一本射たり、天地に向けて二本射ることもありますので、五本矢でも六本矢でも良いことになります。
矢の行事は上加茂神社の始まりと深い関わりがあります。その昔、玉依比売命(たまよりひめのみこと)が賀茂川の川上から流れてきた丹塗の矢(赤い矢)の力によって懐妊し、御祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)が誕生したと伝えられています。上加茂神社では、毎年一月十六日に武射神事が行われ、赤い鏑矢(かぶらや)が射られます。このときは、四人の神官が二本ずつ射ますので二本でも八本でも良いのかもしれません。
総じていえるのは、矢の本数はあまり関係ないということでしょう。弓と矢が組み合わさった飾りであれば、縁起的には矢の本数に関わりなく何本でも大丈夫です。
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破魔弓 ~その一~
破魔って? ②

昭和四〇年代の当店製 破魔弓
六月三十日は大祓え=夏越しの祓えです。この日には全国の神社で「茅の輪くぐり」の神事が催されます(旧暦で催すところも多い)。
昔昔、巨旦将来(こたんしょうらい)というお金持ちの家に、貧しい身なりの旅の男が「一晩泊めて下さらんか」と訪ねてきました。巨旦は男の身なりを見てすげなく断ります。男は次に兄の蘇民将来(そみんしょうらい)の所へ行き、一晩の宿を頼みます。貧しい蘇民は快く男を泊めて精一杯もてなします。翌日、男は玄関に茅の輪を下げるように告げて去ります。その後、蘇民将来の家は栄え、疫病にもかからず幸せに暮らし、巨旦は没落したということです。その貧しい身なりの旅人は実はスサノオノミコトだったのです。
以来、茅の輪を玄関に飾ったり、腰にさげるようになりました。これが茅の輪(はま)の由来ということです。これが発展して神社の夏越しの祓えの「茅の輪くぐり」になったと多くの神社で解説されています。
大祓(おおはらえ)は年に二回あって、六月三十日と十二月三十一日です。六月は夏越しの祓え、十二月は年越しの祓えと呼ばれ、厄除けお祓いの大きな行事です。お正月に「はま弓」を飾る由来もここにあるのです。
「はま」にはこのようにいろいろな「お話」がついて回りますが、みんな魔除け、厄除けに結び付いています。輪くぐりも、ほんとうに心身を清められるような気持になります。ぜひお近くの神社へお出かけください。(六月三十日から旧暦六月三十日まで、神社によって催日はさまざまです。那古野神社では八月一日に催されます)
「体験の格差」という言葉があります。あまり好きな言葉ではありません。お子様の成長過程で、お正月やひな祭り、端午の節句、お誕生会や家族旅行など、体験の豊かな子とそうでない子の「格差」のことです。この茅の輪くぐりもそうです。わずかな初穂料で体験できます。小さなころ、浴衣を着てご両親と行った「茅の輪くぐり」の体験は、いつまでも記憶に残ります。
お節句や節目のお祝いなど、高額、豪華である必要はありません。しかし、そうした体験がお子様の成長に及ぼす影響は、とても大きいように思います。親御様の情愛が自然と伝わるとともに、豊かな体験がお子様の心に宝物として残ることは間違いありません。
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